KANGEKI-LOG

観劇とか感激とか思考の吐き出しとか

【観賞記録】絵本美術館・森のおうち『猫だらけ絵本原画展』

 長野県安曇野市穂高有明の「絵本美術館・森のおうち」に両親と3人行きました。親子で美術館なんて記憶にある限り初めて(!)。
 森のおうちは、その名の通り森の中にある小さな美術館。洋館風の佇まいが愛らしく、館長さんやスタッフさんが来館者をとても温かく迎えてくれます。個人的にも何回も足を運んでいる、安曇野観光超絶おすすめスポット。

\まずこの佇まいにめっちゃ癒やされる/

 そして同館のオススメポイントは何より…「絵本を本文とともに丸ごと原画で楽しめる」ところ!

 各企画展では原則、展示対象の絵本の挿絵原画全てが、本文(キャプション)を添えて飾られています。ぐるっと順路に従って一回りすると、1冊の本を楽しめる趣向。絵だけでなく、物語を楽しめる。絵本の世界に没入できる。これがとても良いです。

 「絵本を読みたいなら絵本を読めば良いじゃない」と思われるかも知れませんが、違う。「原画」は「印刷された本の絵」とは全く違う

 カンバスや絵の具の凹凸、製本後にはすっかり隠されている修正の跡、文字が入れられる部分の余白、印刷の時には切られてしまう端の描き込み――情報量が凄まじいんです。絵に向き合う描き手の息づかいがあちこちから感じられる。あと、絵本は印刷の際に原画から色合いが結構変わってたりする(その意図を考えるのもまた、楽しい)。

\開催中の企画展はこちら/

 この企画展では、4冊の絵本を堪能できます。

《企画展》町田尚子の猫だらけ絵本原画展
『なまえのないねこ』竹下文子/文 町田尚子/絵 (小峰書店)
『ネコヅメのよる』町田尚子/文・絵 (WAVE出版)
『ねことねこ』町田尚子/文・絵 (こぐま社)
《同時開催》江口みつおき絵本原画展
『変身ミーちゃんとおともだち』江口みつおき/文・絵 英訳/江口信男 (銀の鈴社)

 町田尚子さんの作品はなんと言っても猫の表情・仕草がたまらなく「猫」!。ちょっとふてぶてしい感じとか、つんとすました感じとか、そして何より、どの猫ちゃんもみんな違う個性があって、愛らしい。描き手の愛情とこだわりを感じます。

 インスタのイラストは人間っぽい(ファンタジー的な)猫が多いのですが、今回展示されているのは動物感あふれる猫という印象です。

 特に好きなのは『なまえのないねこ』。

なまえのないねこ|数ページ読める|絵本ナビ : 竹下 文子,町田尚子 みんなの声・通販 なまえのないねこ、竹下 文子,町田尚子:1700万人が利用する絵本情報サイト、みんなの声16件、よかった♪:新刊絵本紹介メ www.ehonnavi.net
靴屋のネコは「レオ」、本屋のネコは「げんた」、八百屋のネコは「チビ」。町のネコにはみんな名前がついているのに、このネコには名前がありません。
お寺のネコ「じゅげむ」に「じぶんで つければ いいじゃない。じぶんの すきな なまえをさ」と言われて、町を歩きながら自分に合う名前を探しはじめます。

 母と私はラストでちょっと鼻がつーんとしてました(涙腺の弱い親子)。
 そして、父(芸術に関する情緒は小学生)が楽しんでいた様子だったのは江口みつおきさんの『変身ミーちゃんとおともだち』。このお話も可愛いんですよ…。

 老夫婦に拾われた猫の正体は化け狐で…という筋書きなのですが、時々変身が解けてキツネのしっぽがでてきちゃうんです。猫以外にもとあるものに変身して読者を驚かせ、そしてラストには親子3人で「えー!でもいいね!」となりました。同館のある信州(長野)の玄蕃稲荷の伝説も絡んでいます。やわらかいタッチの絵柄に笑みがこぼれ、最後にはほっこりできる物語です。

 展示を巡る中で、母が「猫好きの人はすべての猫が好きて、犬好きの人は自分の犬が好き。だから展示ものは猫の方が人がよく集まるのよね」と言っていたのが印象的でした。確かにそうかもしれない。

\自慢の猫ちゃん募集されてます/

 1階の廊下に設置されたコルクボードに、「我が家の猫ちゃん」たちが集まり初めてました。ほっこり。あと2階の図書室にも入ったのですが、懐かしい絵本や児童書がたくさんあって、母と「これも読んだね」「あれも読んだね」と盛り上がりました…し、民話のコーナーに千葉県の実家&地元近くの民話を集めた本があって驚き。母が写メってました。笑
 帰りがけにはミュージアムショップで、私と母で絵本を2冊と、父は猫の絵がプリントされた眼鏡拭きをお土産に。温かく送り出していただきました。

 今回は立ち寄りませんでしたが、館内のカフェ「ポラーノ」もオススメです。メニューを眺めると「山猫コック長おすすめ珈琲」「注文の多いカレーライス」「雨ニモマケズとまとごはん」…そう、館長さんは筋金入りの宮澤賢治ファン(&研究者)!度々賢治作品関係の展示もされていて、館長さんの濃~い解説がたまらないのです。

 小さな美術館ですが没入してしまうと本当にあっという間に半日過ごせてしまうような空間です。周辺にはカフェやギャラリー、作家さんの工房もたくさん。私はこの、自然と文化が穏やかに寄り添い合っている安曇野の空気が大好きです。

 そしてコロナ禍で観光業が大打撃を受ける中、森のおうちさんも例外ではありません。「応援団」を募り、宿泊券(コテージがあるのです。レトロでかわいい!)補助券と合わせたご支援を受け付けてます。あと絵本や原画の通販もされてます~ぜひぜひ。私もささやかではありますが「応援団」の一員です。

[森のおうちNews] 絵本美術館存続のための御支援のお願い www.morinoouchi.com

  そして今回、補助券とGOTOを併用してコテージに宿泊したのですが、地域共通クーポンまで付いておやすさに目玉飛び出るかと思いました…(部屋料金なので、3人で実質1万円程度でした…)。

 いわゆる趣味仲間での「合宿」にも向いているのではなかろうか。今度は友人連れて行きます。大好き。

 『猫だらけ』企画展は来年1月26日まで開催中です!

【観劇記録】 そよ風と魔女たちとマクベスと

 やっと、やっと生観劇できる日が帰ってきた…!と、喜びを噛み締めながら8ヶ月ぶりに劇場に足を運びました。シェイクスピアの「マクベス」を下敷きにした「そよ風と魔女たちとマクベスと」初日(松本公演は11日まで)。
 前半はネタバレなしの感想です。

『そよ風と魔女たちとマクベスと』 | まつもと市民芸術館 www.mpac.jp

 まつもと市民芸術館の特設会場、コロナ対策で空けた席には市民らから募ったダンボールの観客「ペーパーピーポー」がいるんですけど、私の左にはオラフが右には笑顔の女の子がいました。こう言うの良いよね。2列目ほぼ中央で観劇。

客席に座る“ペイパーピーポー(紙の観客)”の様子。(撮影:山田毅) [画像ギャラリー 4/10] - ステージナタリー 客席に座る“ペイパーピーポー(紙の観客)”の様子。(撮影:山田毅) - 串田和美「僕たちにとっては満席です」TCアルプ×小 natalie.mu

 タイトルやフライヤーからファンタジー/絵本感を感じていたのですが、筋書きはごりごりにストレートな「マクベス」でした(その辺は観劇後に監督インタビューを拝読して納得&舞台を見て感じたことに対する確信を得る。個人的には観劇後読むの推奨!)。

 開幕前、奥行きのある特設舞台の奥から鳥の囀りに混じって金属が打ち合うような音が聞こえる。目の前には緞帳ではなく、カーテンがつけられた木枠。枠にはローラーが付いているので劇中あちこちに稼働して、カーテンの向こうで演者が入れ替わり、ふいに現れたりして「おっ」となる。

 影絵のような演出も好きでした。一箇所から照らして明確な絵を映しだすのではなく、いくつかの光を当てることで複数の影が現れる趣向で、不安定感とざわめき感がある。光といえば、王位簒奪後のマクベスと夫人を一方向から照らす場面があって、そこでは光と影がとても鮮明に分かたれていて印象的でした。そうそうこれが舞台…これが演出…。

 個人的な見所は、マクベスに運命を告げる「魔女」「たち」の存在と、「女(の股)から生まれた者にマクベスは殺せない」に対する、マグダフのアンサー。監督もインビューで触れていらした部分でした。予備知識なしで観て驚くタイプの舞台というより、マクベスの筋書きを押さえておくことで没頭できる舞台だと思います。とはいえわたしはwikiと以前見た「M夫人の回想」くらいの知識しかなかったですが…それでも十二分に楽しみめました!

 「マクベス」、長く長く演じられ続けてきた戯曲だからこそ、筋書きこそ変わらずとも、きっとその時代時代の物語や人物の「マクベス」が存在していたのだろうな、と。そして、フィクションは現実からは切り離せないものなのだと改めて感じます。だからこそ、面白い。

 コロナ対策で多少客席と舞台の距離を空けているとはいえ、役者さんの表情から額に光る汗までしっかり見えて、音があちこちから耳に飛んでくるのがもうほんと「生」で。このコロナ禍の中、この舞台を届けるために尽力してくださったすべての方に感謝を。人間、声、音、呼吸、演出、あらゆるものが一度きりで交差する、奇跡のような空間にまた足を運べて嬉しかったです。ありがとうございました。

*memo*
原作 W・シェイクスピアマクベス」より
脚色・演出・美術・
照明・衣裳 串田和美
出演 草光純太、近藤隼、下地尚子、武居卓、田村真央、深沢豊、細川貴司、
毛利悟巳、串田和美

以下はネタバレ初見感想(考察未満の書き散らし)
・「魔女」に男性が自然に組み込まれてるのが個人的にすごく印象的でした。そして、ワンピースっていまし男性が着てもなんら違和感ない。発見。なびく裾は「風」の象徴でもあるようで、それがマクベスには与えられていなかったのも頭に残る。
・劇場では「ワンピースを身にまとう男性」に対しての笑いがごく少数ながらあったように感じたけれど、もうそういう感覚古いよなーと。少なくともあの舞台では男性女性関係なく「魔女」であり「そよ風」。
マクベス以外は全員「魔女」の役をしているわけですが、なんとなく風というのが古来から「魂/精神(Pneuma)」と関連づけられてきたように、この物語の「そよ風」もそういう存在なのかなと思いました。私のかけらとあなたのかけら、すべての集合体。噂話とか人の念みたいな物にも感じる。
・タイトル、「マクベスと」の最後の「と」のあとには「わたし(観客)」たちが含まれるような、そんな気が。
・この作品のマクベスは傍目からみるとけして孤独ではなかったように見えて、王位(栄誉)も妻(愛)もかつては友人もいたのに、それらを結果的に「認識しなくなった」のはマクベスだったんじゃないかと。人は他人に認識されて初めて存在できる、といった趣旨の場面があったと思うのですが、マクベス夫人が子供を幻視したのも、マクベスに認識されなくなったが故じゃないかなとか。あと、序盤で夫人のお腹にマクベスが頭を当てて胎児のように丸々シーンが、2人がラブラブしてたシーンよりも印象的だった。あの時、マクベスの一部が夫人の胎の中にかえっていったような気すらした。
・幕間みたいなメタ場面も張り詰めていた空気が一瞬緩んで、そしてあくまでもこの舞台はただの戯曲ではなく今この時の「現実」と地続きの場所にあるのだと実感した。
・バンクォーの亡霊が祝いの席に現れる場面、諸侯が瓶なのとシャンデリア降りてくるのが好きだったな。あの小道具アップでみた�� �です…(表情が気になる)。あとテーブルがあとで立てられて照明になるのも好き…。
・マクダフの妻と子どもの会話シーンで、その後の展開がわかってるからこそ泣きそうになった。子供のお人形の足パタパタするの可愛い。
・「怒り」から生まれたマグダフ。原作では「帝王切開(だから女の股からは生まれていない」だった部分を「怒り」に解釈するのは、今の社会に当てはめても色々と想像が広がります。
・最初剣がぶつかった時効果音つけてるのかと思ったらガチの衝突音でしたね…。これで思い出されたのが開幕前に流れていたBGMの鳥のさえずりに混ざっていた金属音(と私は感じた)でした。火花散るのも「生!」って感じで、客席も息を飲んでる空気が伝わってきてどきどきしました。
・最後、暗転して、まるで子供時代に戻っていくような、寝しなに物語を語られているかのような「ロングロングアゴー(昔々)」の繰り返し。この物語はマクベスの死によって幕を引かない、むしろまた最初に戻る、繰り返すような、闇から小さな黒点に縮小されていく、遠のいていくような、そういう舞台なのだなとまだまとまっていないのですが感じました。
・もう一度見れば解像度もっと上がるかなと思ったのですが、仕事…残念。

また何か思い出したら追記します。11月は、真夏の夜の夢

「可愛いものが好き」と表明したら「私」は死ぬ気がしていた

 「可愛いものが好き」と表だって言えない子供だった。親にも、友達にも。男子に混じって、駆け回って泥だらけになって遊ぶのがいっとう好きだった。でも同時に、ディズニープリンセスのドレスにも、おジャ魔女どれみの魔法アイテムにも憧れていた。パステルカラーでフリルのついた砂糖菓子みたいな服や、ペンケースも、本当は欲しかった気がする。でも、「可愛いもの」に対して、私はいつでも慎重だった。

 アラサーになった今、私の中の「可愛いもの」に対する慎重さについて考えてみたとき思いあたったのは、私にとっての「可愛いもの」は、イコール、「他人に自分を『女の子/女性』と判別させるもの」なのだ、ということだった。

 私の性自認はまごうことなく「女性」だ。心と体の性も一致している。「じゃあ良いじゃん」と思われるかも知れないが、そうじゃない。

 「可愛いもの=女の子/女性らしいものが好きな私」を、ひいては「女である」と他者に表明すること――相手にそう認識されることは、私にとって幼いころからこの方、弱点や急所を相手に曝け出すのと同等の行為だった(ということにも最近気付いた)。その危機感が形成されたのは、幼いころ、父(男性)に逆らうことのできない母(女性)を見ていたからかも知れないし、私以外男子だらけの幼馴染み集団につまはじきにされたくなかったかも知れないし(結果的に、今は私だけ疎遠になっている)、学校や社会生活の積み重ねの中で構築されていったのかも知れない。

 重ねて言うと、私の性自認はどこまでも「女性」だ。でも他人に「女性」扱いされたとき、私は酷く傷つく。「女性」として見られた瞬間、私は、私という存在は、「個人/人間」として見られてない/扱われていない、死んでしまった、と感じる。それが耐えがたく苦痛で、受け入れがたい。

 異性に好意らしき感情を向けられると、言いようのない気持ち悪さを覚え、極端なまでに距離を置く癖があって、それが長年、自分でも疑問だった。「好きだな」と思った人に対しても同じで、むしろ好きな人にこそ、「異性に対しての好意/興味(らしき感情)」を向けられた時の絶望感と失望感は凄まじかった。その感覚も、結局は上記のことがらに起因するのだと思う。

 でも先日、小さなブレイクスルー(と言えるほどでもないけど、小さな転機)があって、だから今は私はnoteを開いている。

 髪を数年ぶりにベリーショートにした。特に何があったわけでもないのだけれど、美容室の椅子に座った時に唐突に「切ろう」と思い至って、お願いした。6年間通っている美容室は客席が三つだけの小さなお店で、秘密基地のような店内に、アンティークめいた鏡と椅子があって、ドライフラワーや流木が飾られている。いつも自分の髪型も色も決められず「さっぱりして染め直したい」とだけ伝える私の珍しい注文に、ハサミを手にした店長はちょっと驚いていた。

 今までベリーショートにした時、私はずいぶんこざっぱりした自分を鏡で見て毎回、「男みたい」と思っていた。そこには安堵と、一抹の寂しさのようなものがあった。自分に対して「男めいた振る舞いをしなくては」と思っていたところがあったし、周りにもそういう振る舞いを求められているような気が勝手にしていた。

 でも、今回は違った。鏡を見た時、憑き物が落ちたように「あ、私がいる」と思った。髪も染めていたから、黒髪で切っていた今までと印象が違っていたのもあるかも知れない。でも、今までにない軽やかな気持ちで「私だ」と思った。そして、自分が今までずっと、女らしく見られることも、男のように見られることも嫌だったことに明確に気が付いた。私はずっとずっと、ただ「私」として在りたかったし、他者にも「私」を見て欲しかった。

 でもそれがすごく難しいことだというのも、わかっている。私自身だって、他人をそのままの存在/個人として見ていないときは思っている以上にたくさんあるのだろう。でも、私が私であることを、私が「私」以外で定義されることへの抵抗を、諦めたくないと思う(もちろん、他人に対しても)。

 ベリーショートにしたら会社の人にも「イメチェンだね」驚かれたけれど、誰にも「ボーイッシュになったね」とか「少年みたい」とか、今まで聞いたことのあるような言葉をかけられなかった。大人だし、仕事の付き合いというのもあるだろうけれど、それにとても救われた。「似合ってるね」の言葉が、今までになく素直に受け入れられた。嬉しかった。

 ベリーショートにしたら、ピアスがよく映えるようになった。ピンクトルマリン、パール。気分のままに「可愛い」と感じるものも装ってみる。もちろんそれ以外のものも。何をつけても、鏡を覗けばそこには「私」がいる。確かめるように「私だ」と思う。

 *

 同級生が結婚をしたり、子供を産んだり育てたり、と人生の転機を迎える中で、私はすごくその手前でまごまごして悩んで頭を抱えているのだけれど、それでも、幼い頃からずっと握りしめて手のひらの中で凝り固まってしまったものを、年を重ねるにつれてほぐしてはいけているような気がする。 
 人を好きになることも好きになられることも、愛することも愛されることも全部全部ままならないけれど、少しずつ、息がしやすい方に向かっていけたらと思っている。

【観劇記録】タイムリピート~永遠に君を思う~

 演劇女子部さんの「タイムリピート~永遠に君を思う~」がU-NEXTの配信に追加されていたので観ました!演劇女子部…と言いつつも、「Juice=Juice」主演の舞台は初視聴。

 ジャンルがSFと聞いたとき、「続・11人いる!」「トライアングル」を観た身としては心の隅っこで「またSFかぁ…内容被ってそうだなあ」と思っていたのですがめちゃくちゃ面白かったです(毎回言ってる)
 タイトルの通り「タイムリピート(=リープ、時間跳躍)」を軸としているのもあり、3作の中で一番がっちりSF感がありました(無論11人とトライアングルは設定含めてあのそこはかとないファンタジー感が良いわけですが!)。

 一つの舞台として綺麗にまとまっていて、筋書きもわかりやすく良い意味でストレート。伏線の拾い上げと回収もしっかり楽しめ、展開もドラマティック!な、個人的には初見さんに勧めたい(いや私もにわかですか)作品!です!

あらすじ
宇宙歴3255年。
銀河連邦とロア帝国は30年にわたり、冷戦状態となっていた。
銀河連邦の宇宙船・乗組員総勢13名を乗せたエスペランサ号は、希少エネルギー・ネオクリスタルが眠る惑星を発見。着陸準備に入ったところ、突如、小惑星のような謎の天体が現れ、衝突により大破してしまう…
ところが、乗組員の鉱物学者・ルナは再び目を覚ます。気づけばそこは、大破する前のエスペランサ号内部だった。永遠に繰り返される時間の中で、やがて一つの真実が明らかになる。

 主人公・ルナは、過去の経験から他人に心を許せず、全てのクルーに対して常に刺々しい態度で接してしまう女性(少女)。寄らば斬ると言わんばかりのツンツンっぷりが死の恐怖で崩れ、繊細で臆病な面が覗くようになっていく様が愛おしいです。
 もう1人の主人公でソーマは、いかにも「研究オタク」感の漂う宇宙学者。早口で時にどもる口調、そして見るからにへたれ。でも誰よりも心優しく、研究熱心で好奇心旺盛な青年です。
 2人を中心に時間跳躍をしたキャラクターたちが死の運命を覆そうと奔走します。なぜタイムリピートが発生したのか、リピートする条件は何なのか、彼らを死に陥れる謎の小惑星の正体とは、そして連邦と帝国それぞれの思惑…が絡み合う物語です。

 繰り返される時空での役者の細やかな芝居が見どころの一つだと思います。全体的に細部に見どころがあると感じられた舞台でした。
 時間跳躍したキャラたちはタイムリープに動揺したり繰り返すうちに腹をくくったりするわけですが、一方でその時間軸は時間跳躍していないキャラたちにとっては常に「はじめて」でもある…そういう細やかな部分が、表情や仕草で丁寧に表現されている印象を受けました。
 細部と言えば、13人が舞台上で一列に並ぶ場面があるのですが、全てのキャラ(役)の個性が立ち方一つに現れていてぞくぞくしました。足の開き方、左右の位置、重心、全員違って「このキャラならこう!」がまさに体現されてるんですよ。好きすぎる…。

 舞台はコンパクトで装飾もシンプルなんですけど、個人的には「役者の芝居で世界が見える」のが好みなのでグッジョブでした。小道具だと、キャラが持ってるタブレット端末が好きだなー!アクリル板で作られてるのかな。ああいう細かい近未来感(+手作り感)漂う演出がたまらない。
 あと衣装が奇抜すぎない程度にスタイリッシュで、クルー全体での統一感があるのが好きです。赤・オレンジが基調な分、ソーマの青とルナの白(ベージュ?)が際立つ感じも良い。タイトスカートを着ていらしたアリサ(船長)とリョウ(料理人)のおみ足がすらっとしていて美しかったな…。エイジやテルの機関士組の作業着風衣装も好き。

 ネタバレできないのが歯がゆいのですが、抱いた違和感が本当にきれいに明かされていくのが爽快でした。結末含めて私は「好きだー!」と思える作品。ぜひぜひ(また最下部で好き勝手に語ってます)。

*memo*(2018年公演)
Juice=Juice
稲場愛香(鉱物学者 ルナ)宮本佳林(宇宙物理学者 ソーマ)
宮崎由加(船長 アリサ)金澤朋子(副船長 ジン)
高木紗友希(機関長 エイジ)植村あかり(料理人 リョウ)
梁川奈々美(医者 マドカ)段原瑠々(通信士 ツグミ
高瀬くるみ(軍人 レオナ)前田こころ(軍人 カナタ)
清野桃々姫(機関士 テル)山﨑夢羽(操舵手 ミカ)
岡村美波(操舵手 エリー)

脚本 太田善也
演出 西森英行(Innocent Sphere
音楽 和田俊輔
振付 YOSHINO
プロデューサー 丹羽多聞アンドリウ


以下初見ネタバレメモ
・テル、マドカの暗躍(?)までは読めていたけれど、当初から引っかかっていた「何故ルナがタイムリピートできるのか」が明かされた時には「わー!」ってなっちゃったよね。初期に「帝国ではなく連邦側の手先(占有権を得るために早く上陸させたい)」のイメージを植え付けられてたのも大きい。まさか彼女が帝国側の人間で「信頼できない語り手」だったなんてー!まんまとしてやられた観客です(ちょろい)。
・エイジ役高木紗友希さんの演技、一声目から彼の人柄が伝わってきて「わー!好き-!」ってなっちゃいました。口調は荒くてべらんめえだけど、人情に厚い機関士が最初から最後まで舞台にいたよ~!
・副船長ジン役・金澤朋子さんもかっこよかったな-!ロン毛(?)がまた「良い男」にしっかりなってるところもすごい。船長への片思いが敗れ去ったシーンは映像にも笑い声入ってて(わかる)となりました。ちょっとギャグになっちゃったけど、イケメンながらもクルーからの信頼厚く親しみやすい彼が副船長なのは、納得の極みなのです。
・カナタ曹長役・前田こころさんの空手(?)の型キレッキレでニコニコしちゃった…手足がすらっとしているのも相まって格好いい。所感なのですが、Juice=Juiceは平均身長が他のユニットより高めだったりしませんか?単純に顔の小さいスタイルの良い子が多いのかしら。
・ソーマ(宮本佳林さん)のどもりは演技なのか素なのかちょっと気になって時にふふってなったけど、ちゃんとそれが「ソーマ」になってて好きです。
・ルナのトラウマ(であり潜在的な願いでもあった)「手をつなぐ」がタイムリープの鍵になるの泣いちゃうんだよな…。
・ルナ(稲場愛香さん)の選択、結末は脱出ポッドの存在が臭わされていたゆえに予想外ではなかったんだけど、でもどこかあの時空で決着が付くのではとも期待していたので、ルナとソーマの世界線が分かたれてしまったのは切なくてほろっときた。
・「恋」ではなく「愛�� �の物語であったのが個人的には良かったと思う。これはルナとソーマのことだけではなくて、クルーそれぞれに船の外に大切な人が居ると描いてくれた点でもそうで、世界や人のつながりの広さ、そして生きる(生き残る)意味についても考えさせられた。
・切ないラストだけど、私はいつか、ソーマがタイムリピートの法則を解明して、爆発を誘発するクリスタルクォーツを遮断する装置も作って、あの日を繰り返し続けているルナを救う、そんな日が来ると信じています。し、あの日を繰り返す中でもルナはきっと、ソーマの存在に励まされ続けて行くのだろうな。ふたりが手をつないで笑いあえる、愛を伝え合える日がまた来ますように。

出会った時には終わっていたバンドと私が9年越しにはじまった話

 初めて買ったCDは、出会ったのとほぼ同時期に活動を休止したバンドの作品だった。

 2011年1月1日。高校3年生の私は、唯一自由に使えるお金であるお年玉で(我が家はお小遣い制度がなかった)、そのCDをAmazonで注文した。

Miles Away www.amazon.co.jp 500円 (2020年09月11日 21:56時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する

 2011年6月に活動を休止した、青森県出身の4ピースロック・バンド「LOCAL SOUND STYLE」――私は今も彼らのことをほぼ何も知らない。ただただ、出会ってから今まで、曲を繰り返し聴き続けている。

 初めて耳にしたのはニコニコ動画で目にしたRPGゲームのMADだった。
 曲名は「Sympathy(シンパシー) 」。歌詞は全て英語で断片的にしか聞き取れなかったのに、イントロから最後まで惹きつけられた。

 曲調には、澄んだ青空を思い起こすような爽やかさと疾走感があった。ボーカルの男性の歌声は飾り気がなくて少年めいていて、まっすぐでどこまでも伸びやかだった。

 それなのに。

 あの曲は、間違いなく、あの頃の私が抱えていた悲鳴に似た叫びそのものだった(ように聞こえた)。世の中の窮屈さとか息苦しさとか自分の居場所や未来への漠然とした不安だとか、そういうの全部ひっくるめて、青空に叫んでぶつけている曲だ、と思った。添えられていた字幕を見なくてもそう感じていたと思う。言葉を超えて、音と声が私の内側に飛び込んできて共鳴した。
 全てが初めての体験だった。
 雷に打たれたように「これは私の曲だ」と思った。

 2011年は、多くの人にとって忘れられない年だと思う。東日本大震災の年だ。

 CDを買った1月、震災が起きるなんてつゆとも知らない受験生の私は、iPodから流れる音楽を毎日毎日しがみつくように聴きながら、今までの不勉強を嘆きつつセンター試験に向けて勉強をしていた。

 それまで聴いていた曲といえば、弟から借りたボーカロイドだとかツタヤでレンタルしたアニソンばかりだった。だから、LSSのCDをiTuneに取り込む時、とてもどきどきしていた。英語の歌詞は勉強の妨げにもなりづらかった。

 LSSの曲は暗いトンネルを進む私の鬱憤や不安を代わりに叫んで吹き飛ばしてくれて、それでいてトンネルを抜けた先にはきっと光と青空があるのだと教えてくれる、そんな存在だった。

 受験も無事終わって大学の入学式を待つばかりの頃に、震災があった。大学の入学式はなくなって、スタートも5月からになって、やることもできることもないのに気忙しくて、大学が始まったら始まったで慌ただしかった。夏頃、ふと思い立ってLSSについてインターネットで調べ、私は、彼らの活動停止を知った。
 出会った時には終わっていた。知るべき時に知る機会を逸してしまった。
 私の手元には彼らの曲だけが残った。wikiには活動停止の理由も一応書き込まれていたけれど、そもそも知らない人たちのことでもあったから、なにもぴんとこなかった。曲だけがずっと、私のそばにあった。

「Sympathy」は10代の私の息苦しさを空に打ち上げてぶちまけて昇華してくれたような曲で、いっとう救われた曲だったのだけれど、もちろん他の曲も好きだ。相変わらず歌詞全部を聞き取れるわけではないけれど、聴いた後に少し足取りが軽くなって背筋が伸びる曲ばかりで、受験機とかわらず私にとってのお守りなのだ。

 実はここからが実質本題なのだけれど。
 今回私はnoteのお題企画「#はじめて買ったCD」を書くために改めてCDを引っ張り出し、そして久々にgoogleの検索窓に「Local Sound Style」と打ち込んだ。

 そしたら

LOCAL SOUND STYLEが約8年ぶりに活動再開、2020年2月にはワンマンライブも(コメントあり) LOCAL SOUND STYLEが活動を再開。2020年2月24日に青森・Mag-Netでワンマンライブ「LOCAL S natalie.mu

 なんだってー!?!?

 このコロナ禍の影響でライブの中止やアルバム発売の延期などに見舞われてはいるものの、昨年に再始動されていた。

 Apple Musicに最新にして再録第1弾のアルバム「All That Remains」が入っていたのでDLをして聴いた。「Sympathy」の再録ver(でいいのだろうか)も収録されていた。再生した瞬間に「あ、今まで聴いてきた曲と違う」と思った。楽器のアレンジも少しずつ違うし、何より、歌声が。

 当時は少年めいてた(と感じた)雰囲気が、ほのかにやわらかく大人になってる感じで。なんかもうそれだけで泣けた。大きく変化しているわけではないのに、今はもういつかとは別の場所にいる人が歌っているのだとわかって、時の流れと、生きてるってことと、人は変化してくんだってことと、でも変わらないものもあるんだ、っていうのが端々から感じられて、1人で号泣してしまった。

 私も今、9年前の自分には想像のできない場所にいる。Iターンで縁もゆかりもない地方都市に就職したし、職業だって思いもよらない職に就いた。そういう物理的なこと以外にも、本当に今の私は、9年前には少しも想像できない私になった。

 自分のことともごっちゃになった気持ちがとにかく胸を占めて、どの曲を聴き比べても泣いているし笑っている。ありがとう、という気持ちに包まれる。LSSのサイトを開いて、メンバーの名前を覚えるところから始めている。いつかライブに足を運びたい。ありがとうと伝えたいし、生の演奏と歌声を全身で浴びたい。

LOCAL SOUND STYLE LOCAL SOUND STYLEオフィシャルWEBサイト www.localsoundstyle.jp

 「All That Remains」はCDでも注文した。明後日には届く予定だ。
 次に控える再録2弾のアルバムは「Make It Through」。その次にはきっと、新曲がくるのだろう。出会った時には終わっていたバンドが、これから追いかけられる、同じ時を進んでいく存在になるとは思っていなかった。10代の私を救いあげてくれた楽曲に20代になっても励まされながら、そして新たな曲に背中を押されながら胸を張って30代と、その先へと進んでいける気がしている。

 ありがとうLocal Sound Style。応援しています。みんな聴いてね。各種サブスクでも聞けるよ!

9/13追記

画像1

届いたよー!!(そしてnoteがピックアップされていて腰を抜かしました。読んでくださった方、ありがとうございます)

【観賞記録】「草間彌生 魂のおきどころ」

 思い立てば行ける距離にあるし、仕事で行き来もしたことがあるのに、今まで松本市民美術館の特集展示ーー草間彌生さんの作品をしっかりと見たことがなかった。行ってきましたの備忘録。2018年の同館の企画展公式instagramの写真を添えて。

 私の中にある草間さんの漠然としたイメージは「宇宙人」だった。写真で見るご本人の奇抜な髪色や服装、強い色使いや作品の独特の雰囲気から伝わるインパクトから、文字通り「別世界に暮らす(厭世的な)芸術家」だと思い込んでいた。でも作品をじっくり観たら、そのイメージはくるっと反転した。

 なんて、どこまでも、人間なんだろう。
 人間しか持ち得ない「理知的」な「激情」の塊が、そこにあった。

 私は美術に詳しいわけではないし、草間さんのこともキャプションや年譜に書かれていたことくらいしか知らないけれど、すべての作品に共通の「ルール/言語」があるなと感じた。「計算の上にある美しさ」ともまた違う、でもただ描いているわけでもない、「律の上にある美しさ/心地よさ」に満ちた空間だった。

 空間芸術作品(インスタレーションで良いのかな)で随所に「合わせ鏡」が使われているのが印象的だった。どこまでも続く空間。永続性と連続性、そこにいる自分、鏡の中の自分。シャンデリアの明滅、大きさの異なる白のドット。インスタには掲載されていないけれど、《天国への梯子》は梯子が合わせ鏡と組み合わされたことで、上にも下にも無限に続いていた。

 立体作品もあったけれど、絵画が一番印象的だった。特に《銀河》(という題名だったと思う…)という絵は、赤い小さな輪っかがぎっしりとカンバスに描かれていて、じっと見つめていると、呼吸や胎動のように動きだすのだ。私の幻覚かも知れないけれど、本当に生きているかのように、絵画が息をしていた。そのようにあの絵画で、世界が組み立てられていた。

 私は小さな穴や斑点などの集合体に対する恐怖症(トライフォビア)の気があるのだけれど、不思議と斑点(ドット)や細かな描き込みが頻出する草間作品に対してぞっとすることがなかったのも驚きだった。うまい表現が見つからないのだけれども「有機的」で「不完全」なのだと思う。つまりは人間って感じ。本当に。

有機的、といえばかぼちゃをモチーフにした作品には絵画と立体があって

 私は圧倒的に、絵画の方が好きだ。私個人の所感でしかないけれど、絵画で表現されたかぼちゃは、丸い模様を見る限り「平面の重なり」で、「立体物を絵に描いた」作品ではない気がして、でもかぼちゃで、それが面白いと思う。それが立体になると、正直ただの「絵画の立体物」で面白さが欠けてしまったなあと。他の人はどう感じるのかが気になる(今は室内で同じ空間で両作を鑑賞できる)。

 絵画の「愛はとこしえ」シリーズも好きだ。

 モノクロームの絵画(学芸員さんに尋ねたら元はフェルトペンで描いた絵画でそれをシルクスクリーンにしてる?とのこと)で、それぞれにぎっしりと人の横顔や瞳、唇、毛虫のような線で描かれた「波」が描かれている。鑑賞していて気づいたのはほとんどの人物が左向きで、左向きの人が画面を占めている絵画のタイトルには「女」の言葉がだいたい含まれている。そして「恋人」がタイトルに入る絵画には、右向きの人物も登場する。

 あの空間では、女は左を向くいきものなのだ。左、というと縦書き文化なら進行方向、横書き文化なら逆行方向で、進行は「未来」、逆行は「過去」とも取れるとも思うのだけれど、草間作品の「女」たちはどちらを見つめているのか、あるいは私の想定しない他の何かを見つめているのか、とても気になった。あと、横顔に描かれる瞳も基本的には人を正面から見つめた時の形で、キュビズム的(詳しくないけど)というか、顔は横を向いているけど瞳はこちら(鑑賞者)を見つめている、というのが興味深かった。

 《銀河》しかり、女の顔の向きしかり、草間さんの作品/世界にはルールが存在するのだと私は感じる。といっても、それは表現を縛るものではなく、言葉を伝えるための文法や、音楽を導くための譜線のようなもの。

 キャプションに綴られた草間さんの言葉には強い力があって、作品には明確にメッセージが込められている。でもそのメッセージは「言葉」ではなくて、だから、作品が生まれてくるのだろう。草間さんの芸術活動は「闘い」だ。常に生みの苦しみと孤独が伴っている。自分の内側に腕を突っ込んで蹴破って外に手を伸ばす、みたいな、そういう印象を受けた。

 草間さんの作品を観ていると、内と外の、魂と世界の、自分と他者のつながりについて考える。一見隔たったところにあるものが実は裏表とか隣り合わせだとかもしかすると同じものなのかも知れない…みたいなことを延々と考える。それこそ合わせ鏡みたいな思考に陥る。そしてそれがとても心地よい。

多の作品に一貫して流れ続ける草間彌生のメッセージ、「永遠」「無限」「愛」「生」「死」「宇宙」…。通底する草間の声、時には叫びが鑑賞者の心と深く絡み合い、離れないからなのかもしれません。《特集展示「草間彌生 魂のおきどころ」》

 芸術作品のテーマを言葉で括っちゃうなんて野暮だなあと時々思ってしまうのだけれど、草間作品は本当にこの文面の表す通りの作品だった。
 2018年の企画展、足を運べばよかったな…(就職1年目で全く余裕がなかった)。本展も会期中にまた見に行きたいです。

*memo*
松本市美術館特集展示「草間彌生 魂のおきどころ」
会期 2019年5月21日(火) 〜 2021年3月31日(水)
休館日 月曜日(祝日の場合は次の最初の平日)、年末年始(12月28日~1月2日) ※8/3、8/11、8/17、8/24、11/2、11/23は開館
新収蔵作品「愛はとこしえ」シリーズ全50点、《天国への梯子》、《大いなる巨大な南瓜》の公開に合わせ、草間彌生の初期作品から最新シリーズまでをご紹介する拡大特集展示を開催しています。

【観劇記録】ネガポジポジ

演劇女子部さんの「ネガポジポジ」をU-NEXTで観ました!

演劇女子部「ネガポジポジ」 [DVD] www.amazon.co.jp 8,148円 (2020年08月26日 16:37時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する

アヤシゲなタイトル、やたらカラフル(で今風のセンスでも衣装でもない)服を着たキャストさんたちのサムネイル、配信されてるのに感想もあまり見かけない。どうやら調べたらハロプロ研修生さんが出てる舞台だそう。知名度やクオリティが低いのか?いやいやいや劇女作品だぞそんなはずない、ええいままよ!と見始めたら……めっっっっっっちゃ面白かった!

キャストを変えた3パターン上演(A・B・C)の作品で、1日1本ずつ見ました。動画再生時間330分になってるけど、1本はその3分の1だからブラウザバックしないでお願い。

クセの強めの脚本(+説明が少ない)と時代設定(バブル時代から世紀末近く)ですが、1本目(A)で大きくつまづかなければ、絶対に3本とも観て欲しい。なぜなら、筋書きも台詞も大きな変更はないのに、主役2人の関係&印象が公演3パターンで全く違うから!

主人公は、東京の片隅でせんべい屋を営む「万田(まんでん)家」4人姉妹の次女で、自分に自信がない「りさ」と、りさの同級生でお金持ち&おしゃれな「由美」。互いが相手に向けるのは、嫉妬か羨望か憧憬か憐憫かエトセトラエトセトラ×∞……この辺、公演パターンと観客の受け取り方で十人十色の答えがあると思うので、私はここでは断言しません(最下部では好き勝手語る)。観て確かめて

なお私は、最初にA公演を見終わった後「はわ…少女と少女の執着と衝突、成長のコイ(濃い/乞い/恋)物語じゃん…」と放心してしまった。Aが合わなくても、BかCにあなたの求めるものがきっとあると思います。私は全部好き!

あとこの舞台の魅力といえば…アンサンブル
黒くておしゃれな服を身にまとったアンサンブル(黒子)たちが、愛らしい動きで舞台装置を動かしたり、キャストさんと絡んだり、いたずらを仕掛けたり…とずっとにぎやかに舞台を(黒だけど)彩ります。電話が鳴ってキャストさんが取ろうとすると、黒子ちゃんが電話機持って逃げたりとか。可愛すぎる。
舞台のセットはシンプルなのですが、私はかなり好き。こたつや机や冷蔵庫をキャストさんが異動させたり、シャワーヘッドやのぼりといった小道具も面白い。

「まんでん屋」の、りさ以外の姉妹も良いですよ!

バブリーな雰囲気と高いテンションを併せ持つ長女のみちを演じるのは、劇女のプレイングマネージャー須藤茉麻さん!(元ハロプロアイドルなのをやっと最近知った)。3パターンある公演全てに出演する体力気力、そしてそれぞれの舞台にぴったりハマる演技、本当にすごい。し、みちの存在によってあの時代の再現性が増してる…と思ったらバブル崩壊後に生まれた同い年の方だった。役者さんってやっぱりすごい!

三女のまい、四女のるみもキャストさんによって結構雰囲気が変わってます。大まかには、まいはマイペースな中間子、るみはしっかりものの末っ子、という雰囲気かな。

母親・和子役の梨木智香さんも全公演に出演。女手一つで4姉妹を育てる、ひょうひょうとしていながら芯のある母親という印象でした(るみの友人である川上君とのやりとりが好き)。

ここまでざーっと書き連ねましたが、当時の時事ネタが結構散りばめられているのも楽しかったです。「?」ってなった部分には大抵元ネタがある感じ。こちらのブログが細かく解説してくれているのでおすすめです(1公演以上観た後が良いと思う)。

「ネガポジポジ」の設定と元ネタをゆとり世代がまとめてみた - 愛を確認しちゃう みなさん、「ネガポジポジ」観ましたか? ネガポジポジ、最高でしたね。 観られなかった方は、ぜひDVDで。公演は3パターンあ pep-rep.hatenablog.com

物語は、年月を空けた3回の「大晦日」が舞台になっています。最初の大晦日、舞台の幕開けは昭和63年。父が出張中という由美がまんでん家に泊まりにきたところから。独特な空気感の時代と「彼女たちのいびつな成長や衰退を、「家族」のいる場所から綴っていくヘンテコオペレッタ(公式より)」、是非堪能してください!

*memo*
《チームA》
キャスト:山岸理子加賀楓、堀江葵月、金津美月、清野桃々姫
アンサンブル:小野瑞歩、高瀬くるみ、前田こころ、川村文乃横山玲奈吉田真理恵、西田汐里
《チームB》
キャスト:高瀬くるみ、小野瑞歩、前田こころ、吉田真理恵、小野田暖優(演劇女子部)
アンサンブル:小片リサ浅倉樹々一岡伶奈、小野琴己、川村文乃横山玲奈、西田汐里
《チームC》
キャスト:小片リサ浅倉樹々一岡伶奈、小野琴己、西田汐里
アンサンブル:山岸理子加賀楓、堀江葵月、清野桃々姫、川村文乃横山玲奈吉田真理恵

脚本・演出 江本純子/音楽 遠藤浩二
振付 中林舞/舞台監督 小野八着
美術 田中敏恵/照明 関口裕二
音響 百合山真人/歌唱指導 詩菜
演出助手 松倉良子/衣装 高木阿友子
ヘアメイク 吉野事務所/宣伝美術 twominutewarning
イラスト 早川世詩男/写真 大霧円
プロデューサー 丹羽多聞アンドリウ
主催・企画・制作 BS-TBS、オデッセー


以下初見ネタバレメモ(複数回見かえしたら印象も変わるかもなと思いつつ。
・冒頭、さりげなく歌の歌詞がプレコールというかまんでん家4姉妹の名前連呼で初見で気付いて笑ってしまった。最初なんの英語だよと思って一生懸命聞き取ろうとしてたよ。笑 みちりさまいるみ~。
・川上君はどのチームも可愛い。
・ソバの注文を忘れた由美を糾弾するときにシューベルト「魔王」が流れるのあまりにツボにハマりすぎて、どのパートも5回ずつくらい再生した。ぼそぼそみんなが喋ってるところも最高過ぎる。
・由美はおそらくは父親の命令で、地上げのためにまんでん家を燃やそうとしたんだよね。ソバの注文をしなかったのもイタリアンも全部計画的。
 バツが付けられた町内の地図
 地上げで引っ越した川上くん
 和子ママに再婚をちらつかせる由美父
 不自然な一斗缶の油(由美は天ぷらが作れない)
 とか、結構色々ヒントはあったな。
・演目でチームごとに大きく差異が見えたのは、1回目の大晦日の暗転して由美が1人現れるシーンと、2回目の大晦日の風呂上がりの由美とりさのやりとり(小道具の使い方)と、3回目の大晦日の追いかけっこ。
・うろ覚えだけど、「宇宙から見た国境の無い地球」と「こたつの下から見上げた蜘蛛の巣だらけの天井」は対応していて、「地球」「こたつ」は帰る場所(家)の象徴で、こたつから見上げた天井は宇宙と同等に美しかった、みたいなイメージなのかなっていうか、そういうイメージがわいた(とくにC)。

《Aチーム》
一番殴られたというか主役2人があまりにつよい。一番ネガポジ(反転)感があったのもAかなあ。強い「嫌い」は強い「好き」にもなってしまう。
加賀さんのりさは良い意味で垢抜けてない雰囲気がでていて、まさにコンプレックスの塊って感じ。あと外面と内面のオンオフの切り替えが、仕草とか声の感じとかで一番感じられたかも(全体的にめちゃくちゃ声が大きかったけど!笑 そこがいい!)。これも良い�� �味でなんですけど、一番頭が悪そうに…もとい、卑屈なくせにどこまでも愚直な感じが出ているので、なんかもうねー、とても愛おしくなってしまう。由美のことは明確に「嫌い」なんだけど、居なくなって心配して、気になって気にしてて、きっとずーっと考えてて、だからこそくるっと鮮やかに反転しちゃうんだよな…。終盤の「好き-!」があまりにずるい。
山岸さんの由美は、自覚なく周りを振り回している小悪魔。高飛車と言うよりもナチュラルに他人を見下しているというか、そこに自分の判断がない(当然という)雰囲気。でも決して馬鹿では亡くて、暗闇に現れたときの雰囲気は蒼白で、虚空を見つめてる感じは、なんだろうな、静かに絶望していた気がした。姿を消した後もずっと罪悪感を抱えていた子のような気がします。中盤のソロ歌唱は艶っぽさと湿っぽさがある。
りさの愚直さが、由美のかたくなに閉じていた部分を開いて内側を晒させたようなイメージ。Aの最後、りさの頬を両手で包んで見下ろす由美の美しいことよ。そこからの額あわせの「ごめんね」さ…あのさあ…あのよお…よかったねえ…。「本当のことしか言わない」の歌唱ふたりともぐずっぐずで私もぐずぐずになった。
清野さんのるみが可愛かったなー!幼げなのに歌唱も堂々としていて、ちょっとおしゃまな感じが若草物語のエイミーみたいで。川上くんとの関係もちょっと甘酸っぱい。「男ってめんどくさ!」が好き。

《Bチーム》
Aとの差にびっくりした。特にラスト。
高瀬さんのリサは勝ち気。由美そのものというよりも彼女の立場(おしゃれができる財力)とかを羨んではいるけど、自分が負けてるとは思ってなさそうな印象。由美役小野さんとの身長差もあって、幼げにも見える。由美に対しての感覚は「ライバル」に近い印象だし、由美に由美らしくお嬢様で居て欲しかったのもこのりさなんじゃないかなあ、なんて。
小野さんの由美は(これも良い意味で)一番得体が知れない感じがした。無邪気な怪物…というと極端かも知れないけど、善悪の区別があまりないイメージというか。私は一番りさの家を明確に「燃やすか」となっていたのはBじゃないかなあと思ったりしている。放火するかしないかのシーンの時、Bはめちゃくちゃ周りを気にしていて、そこに決行の意志を感じてしまう。でもそこに別に「悪いこと」の意識はなくて「おっとうに言われたから」くらいのテンション、みたいな。だからりさともラストであそこまで無邪気に、さわやかに和解できるんじゃないかなあと。
最後の追いかけっこは、由美が追いかける側に回ったり、フェイクくをかけたりと変則的。印象的だったのは由美のかっぽう着(エプロンだっけ?)とかをりさがはいで投げ捨てていくところ。剥いていったのは自分の心か、相手の心か。そして余分なものを取り払って、この2人はからっと笑うのだ。

《Cチーム》
AとBを経てこの劇の見方がわかって臨んだC。
小片さんのリサは、由美との関係性によって一番成長したというか、「姉」っぽくなったなあと思いました。包容力がでたというか。終盤で興奮しすぎて細部の印象が飛んじゃっている…見かえしたい。
浅倉さんの由美は、素直になれない、寂しがり屋のうさぎのイメージ。Cを観ていてすごく感じたのは、由美の「母の不在/父以外の家族の不在」だったんですよね。Cにきてようやく(あ、由美も片親なんだな)と実感できたというか。個人的には明確に「まんでん家」に憧れていたように感じました。
天ぷら鍋を前にした暗転のシーンでは、やりたくないと拒否するように伏せて目を閉じる。ライターちかちかする数も一番少なかった気がする。とにかく、一番「したくない」を感じた。
そして私、中盤に閃くように「あ、この2人はきっと終盤の追いかけっこの末、正面から抱き合う。りさが由美を受け止める」って思ったんです。そしたら追いかけっこでまず、りさが先回りをするんですよ。逃げる由美の正面に回ろうとするの。そして最後にはりさが由美の手を引いて、りさの胸に由美が飛び込む。想像が現実になってて1人で奇声あげてしまった。これは私の妄想力がたくましいわけではなくて、舞台に、キャストさんの演技に、そう導かれたんですよ…。鳥肌立った。
これはAとBでその部分の演出が大きく異なっていたからこそ、「Cはどうなるんだろう」とCの由美りさの関係と行き着く先に想像を巡らせられたわけで。びっくりした…。ABであった、由美からりさへの「りさちゃんの方が私のこと好きでしょ」というカマかけが(でき)ないのも、「どのくらい好き?」って聞いて「お母さんくらい」って返されて「なんでお母くらいなのよ!」って怒っちゃうのも、あまりに「Cの由美じゃん…」と思いました。
あと小野(琴)さんのまいが個人的にめちゃくちゃツボでした。すさまじく棒に見える演技なのに、ハマりすぎているし、独特の間合 いとお声が好きすぎる。

今日でU-NEXTの無料トライアル期間が終わってしまうので円盤買おうか超絶迷っている。買うか…!!