KANGEKI-LOG

観劇とか感激とか思考の吐き出しとか

劇中夢のほぼ私信

まつもと演劇祭特攻ユニット「せーので、めしあがれ」公演終了しました。

初舞台でした。楽しかったー! 

 

 以下忘備録&座組への私信です。

 

 

公演演目「劇中夢」

 劇場全体(舞台、客席、エントランス、ホワイエ、楽屋etc... )で複数の芝居が同時進行し、観客には自由に歩き回ってもらうと言う「体験型演劇(イマーシブシアター)」を想定した脚本。内容も、劇場にまつわる凄惨な事故と、(劇中において)今は亡きふたつの劇団「しょうちのすけ」と「さるばとーれ」にまつわる物語になっています。

 観客は最初は劇場エントランスに待機。そこに「劇場の新オーナー」である女性が挨拶に現れ、舞台の幕が上がる。コロナ禍による制約や稽古時間などの問題で今回は舞台を中心に展開することになりましたが、エントランスで役者が芝居をし、観客を客席に通すまでは複数箇所で同時進行。

 登場するのは、自らの根幹に大きく深い「欲」を抱える役者(役)たち。彼らは誰もいない劇場で、それぞれの欲するものを何が何でも掴み取るために衝突し、暗躍し、晒け出し、舞台を繰り返し続けている。死者と生者、過去と現在(未来)が交錯し、一つの歪みによって、終わらないはずだった永遠の舞台の幕が降りる。

備忘録(編集中)

 私は稽古途中(10月頭)から、エントランスで踊ったり人を客席に案内する要員に急遽入れてもらえることになったのですが、入れてもらえて良かったー!ダンスは中学校の創作ダンスぶりでしたが、リズム感や柔軟性はないけれど、ディズニーで育ってきた人間なので突然踊り出すラララ〜って感じが好きなんですよ。

 案内の時、テンパってはいたんですけれど、お客様と目を合わせて会話をして芝居をするの、ディズニー(まだ出てきた)ランドのキャストさんみたいでわくわくしました(ゲネ・本番と温かくお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。視線がめちゃくちゃ温かかった…)。

 あ、あと終盤の崩れるあれ、びっくりしていただけたかな。私は一足先に退場していたので、黒子やってました。黒子やった後は平台の後ろで寝そべって耳をそばだててました。笑 楽しかったな~映像で確認したい。

 

 私の役・陸之雷知(おかの・らいち)は劇団「さるばとーれ」の脚本家。独自解釈入るので、さらっと読み流していただけるとありがたいのですが、備忘録として。

 6月ころ、脚本に先んじて役の設定資料を受け取ったときの第一印象は「設定重いな!?」だった気がする。けれど、すごく惹かれた。生まれ育った環境、人生での出来事、転機、それらから構成される性格…と仕事の空き時間にめまぐるしく考えていた。でもやっぱりこの時はまだ「可哀想な子」「暗い子」のイメージが強かった。傷を傷と思わないために偽りの世界を見ているんだな…みたいな。

 ところがどっこい、最終的には、傍目にはめちゃくちゃ情緒不安定で挙動不審で、基本的にテンションが高いキンキン声のやばい人、になりました。笑 

 「気持ち悪く」をキーワードに、8〜9月の稽古はリモート含めて色々試行錯誤してたんですけど、どんどん暗さはなくなっていきました。どの辺で自分の意識が完全に切り替わったかというと、追加のシーンが来たあたりだった気がします。え、この子すごく前向きの未来志向じゃん、ってなった。そしたら、傍目から見たら不幸な出来事も、彼女の中では全く違う意味合いを持っていたんだな、と合点した。実際ちょっと精神的にはおかしくて壊れてるんですけど、彼女にとってはそれが「普通」なんだな、と。

 追加シーンが来るまで、陸之は死にたがりの人間なのかなと思ってたんです。幼少期の出来事で怪物に中途半端にかじられてしまった肉塊。だから彼女は芝居を通して今度こそ怪物に血の一滴も残さずに食べてもらいたいんじゃないかなって。でも追加シーンを読んだら、彼女は何も損なわれてなかったんだなって。むしろあの出来事を契機に、彼女は人間の欲望も汚さも醜さを目の当たりにして、それらが世間一般が尊ぶ美しさとか善性とか慈愛とかそういうものと全く同じ「尊重されるべきもの」だと気づいたんだなって。そしてそれらぜんぶぜんぶを愛したし、全部を抱えて生きていく人間が大好きなんだなーと。彼女が自身の最高傑作と称する「劇中夢」の主演にあの人を選んだのも、彼女こそ「生(未来)」を望む欲望の象徴だったからなんだろうな、と(なんとなく脳内では、陸之にはあの人が向日葵とかの頭に見えてたんじゃないかなと思っている)。

 あと、私は陸之は自分の力で人を変えたい(歪ませたい)人ではなくて、その人の内側に元から当たり前のように存在していたものを、を引きずり出して強化して、それを本人と観客に見せつけたい人のイメージ。見てみて!これがあなたの内臓!ピンク!ツヤツヤ!宝石と同じように綺麗!すごいねすごいね……え、綺麗ですよね?(圧)ってイメージ。

 10月に対面稽古が再開されて、想像の何倍もの気持ち悪さをひねり出す感じになったのですが、最初は本当に恥ずかしくて。演じようとするとどどーっと正気とか羞恥が襲いかかってきてまともにできなかった。それがまた恥ずかしかったし情けなかった。最後には私ちゃんと、彼女の気持ち悪さを当たり前のように演じられていたでしょうか。いやきっと、発声も立ち方も全部全部まだまだだとは思うんですけど。でももう、本番では全然恥ずかしくなかったです。だってあれが陸之雷知だから。彼女の姿が、在り方が、見てくださった方にかけらでも伝わっていればいいな、と思います。あ、あと転け方変じゃなかったかな。ちゃんと怯えられてたのかな。いや「ちゃんと」はまだまだ無理だわ…と堂々めぐりで考えつつ、でも陸之を演じられてとっても楽しかったです。あとゲネ写真見て思った、二重アゴ解消しようって(真剣)

一言感想戦

役者宛はプライバシーに考慮して配役名で。

桜子さん

今回の座組で私と桜子さんは初舞台…のはずが、桜子さんはプレゼン慣れなのか胆力半端ない!観客を相手に最も多く立ち回るオーナー役が、あまりにぴったりすぎました。オーナーの時のまろみのある貫禄と、女優(カサブランカ時)としてのつんつんとした貫禄の使い分けも好き。

大羽さん

みんな思ってるけれど唯一無二。人類共通の笑いのツボみたいなのを刺激する器官を持ってる。劇中夢が悲しい物語で終わらなかったのは、大羽(の役と役者)の力です。他の誰もできない。倒れる時もダンボール吹っ飛ばす時も、自分の身を守ることを知らない全力さなので面白いけどはらはらもした。自分を大事に。

薬木さん

過労でぶっ倒れないか心配してました。嫌味ったらしいキザ(?)な役、ハマってました。本番の「さるばとーれ」の巻き舌今までで一番エントランスに響いてた…。絶対そこそこのイケメン設定なのに、追い出されたりダンボールの隙間から登場したりゴミのように扱われる不憫さが好きでした。

甘裂さん

稽古から本番まで、とってもお世話になりました。私の芝居が少しでもみられるようになっていたのならそれは甘裂さんのおかげです。本番の甘裂さんは目力と言葉の一つ一つが強くて、本当に「ピリピリしてた」。最後の飛び込み、空中で一回転するスタントマンばりの動きに平台の影でびっくりしてました。

セナさん

いっぱいお稽古や雑談に付き合ってくれてありがとう!当日場当たりでの「いきましょう」、私も聞こえた瞬間「イイ!」って思った。ふじりなの、ぽろっと溢れる感じの役としての「らしさ」が特に好きです。そして安定の「別に興味ない」の素っ気なさと言ったら…!二人での場面、コミカルでとっても楽しかったです。

乃薔薇さん

何度も伝えてたけれど本当に乃薔薇さま大好き。棘を身にまといながらも、エゴ丸出しでも、嫌味さがないのは役者自身の優しい部分が滲むからだと思う(そしてそれが、杏子が乃薔薇を慕う説得力になっている)。カサブランカの本読みシーンの時の、強い女!って感じの声も好き。ダンス楽しかったよー!

杏子さん

ふ:日に日に役も役者も乃薔薇さまが大好きになってく感じが伝わってきてにこにこした…。ふちゃんの杏子は依存してる感じがビシバシ伝わってきて、病んでるのにピュア。ピュアだからこそ終盤の狂気が映える映える。「行ってあげてください」のくだりの間の詰め方と目のキラキラさ、ゲネと本番、気圧された。

ダ:本番を終えると、舞台でもダさんの杏子見たかったなあ!の気持ちになりました。乃薔薇さんに対してはまっすぐに従順で、でも時村との場面はで対等にやりあえそうなしたたさと情念が顔を見せる。稽古の、少年感のある無邪気な雰囲気の随所随所に「女」が練りこまれていく過程が好きでした。

時村さん

私生活でも絡みまくってしまった許して。稽古当初は全体的に中性的な雰囲気だったのが、最終的に劇中で脱皮するように変化していくようになってて、良い意味でぞわぞわした。時村とのあの場面をもらえたのは本当に役得だった。言い足りないのでまた感想戦しましょう。あ、あなたのせいでMに目覚めました。責任とってください。

 

脚本、音響、照明、衣装etc...

まとめてしまって申し訳ないのですが、皆様に感謝の気持ちを込めて。初めて役者として立てた舞台が「劇中夢」で良かった。「せのめし」のために書き下ろされた脚本、私のためにつくられた役(と思っている)、優しくてあったかい座組のなかで、初めてのお芝居を満喫できたこと、本当にぜいたく、ぜいたくでした。

14日に小屋入りしてびっくりしました。「舞台だ!?」ってなった。数ヶ月間みんなでリモート含めて頑張ってきたけれど、本番は時間もないし無観客だし、イメージとしてはぴかぴか18期の慌ててやった発表会に毛がついたくらいかなの心持ちでいたんです。

それが、あちこちに照明がつけられていて、スピーカーから音楽流れてるし、レンガのダンボールが積み上がってるし、みんなであれよあれよと平台組み立てて配線を床に固定して…舞台になってた。私が今まで観客として客席から眺めてるだけだった「舞台」を、自分もお手伝いして作れてた!すごい。感動でした(もちろん、お客様を入れて公演するとなるともっともっと大変なことがたくさんあるとは思うのですが)。

思えば、「劇中夢」の小屋入りまで、とにかく「舞台に立てればうれしい」と思っていて、例え板の上に何もなくてもそれはそれでみたいな気持ちでいたと思うんですよね。無理でした。少なくとも「劇中夢」は、役者だけで成り立つ舞台じゃなかった。前から上から後ろから照らしてくれる照明、場面を際立たせる効果音や音楽、劇中劇を表す新聞紙のドレス(めちゃくちゃ可愛かったー!)、そして演出上必要不可欠なダンボールの壁、あれら全てが合わさってようやく「劇中夢」になるんだな、と。

本番の直前も直前にようやく理解して、なんというか、18期の一員としてはHOMEやぱすてる、関係者の皆様に「無観客でもやりたい」なんて、なんて無茶な注文をしたんだろう、とあわあわしてましたしありがたさに何度も胸中で合掌してました。

演出の方々にも本当にお世話になりました。発声や立ち方、まだヒヨッコもヒヨッコで自分で「芝居をした」と称するのもおこがましいのですが、それでも「芝居の一端に触れられたな」という感覚を得られているのは、本当にご指導のおかげだし、芝居って楽しいって思えたのはたくさん教えていただけたおかげです。これからもいっぱい、演劇の楽しさ奥深さ、教えてください。

そして、時間が確保された部活でもなんでもなく、皆様仕事や学業の合間を縫って舞台をつくっている。全員本気で。枯れた学生時代を送ってきた私にとっては、こんな熱量でみんなで何かをするっていうのも初めてでした。毎日毎日楽しかったです。ぴかぴか芝居塾に参加してよかった。皆様とのご縁をいただけて本当に良かったです。気が向いたら(叶うなら気が向かなくても)今後もよろしくお願いします。

しょう

 

f:id:ao_toko:20211017073035j:plain

 

考察ではない妄想のメモ書き(中身知ってる人向け)

全部妄想&仮定に仮定を重ねる話だよ。

劇中夢では、劇団さるばとーれの団員はすべて、20年前の事故で死んだ亡霊(のような存在)として登場するのだけれど、個人的には、彼らは霊魂というよりも、いまわの際に劇場に焼き付いた彼らの強烈な思念(欲望)のような印象がある。その思念が劇場という「力場」によって顕現し、だから人格もそれぞれの欲望を強調した形になっているのかな、と。

時村と甘裂は、全員を道連れに完成を迎えるはずだった「劇中夢」の終わりに、生きながらえている桜子とモト子を見てしまったのかなと思うし、杏子は死ぬ前にようやく乃薔薇に従属する本当の理由(=乃薔薇を永遠に自分のものにする)に気付いたかのかな、とか考える。杏子と言えば、マゾヒストってその実すごく支配的なところないですか?むしろサディストの方が奉仕する側なんじゃないか、とすら思う。杏子ちゃん魔性の女。にしても、乃薔薇様は本当にかわいいな~!彼女は、本当に生きているときも死んだ後も最初から最後まで、一番になりたかったし認められたかったし愛されたかったんだろうな。めちゃくちゃいとしい。

後から気になってきたのがセナの存在。彼女の願い(欲望)は「自分とは違う何かになりたい(演じたい)」じゃないかなーって思うんですけど、だとしたら「劇中夢」にいたセナは本当は生前のセナとは性格諸々違ったりするのかな-!?と。あるいは、もし生前のセナは男だったりしないかな。だとしたら、ちょっと面白くないですか? スカートを履いて怒られた下りもさらに腑に落ちるというか。

個人的には、『劇中夢(劇中劇の方)』のカランコエのキャストは本来セナだったんじゃないかなーと考えている。陸之が「放心した」というセナ主演の舞台で、セナは人間の女性に恋する異形の怪物役だったんですよ。だから男の配役がしっくりくる。モンステラは甘裂か時村かな。

カランコエといえば。何故彼を薬木が演じたかと考えると、彼はずっと「さるばとーれ」の一員として舞台に、劇中夢に立ちたかった人なんですよね、たぶん。さるばとーれ追い出されちゃったから余計に。彼は「終わらせに来た」と言ったけれど、その実、ただ役者としてあの場にいたかったんじゃないかなと。大羽はモト子さんの後を追ったと劇中で示唆されてるけど、薬木はなんかこう、神隠しに遭って消えちゃった感ある。いや、普通に生きてて桜子さんにちょっかい掛けまくってて欲しい気持ちもあるんですが。笑 あー、さるばとーれの一員でありたかった薬木はあの舞台で消えて、生身はもう一度生き直すってルートも悪くないな(こういうのを考えるのが好き)。

モト子は果たして「大根役者」なのか。彼女は会えて言うなら「生きる」欲望の怪物だったのでは、というのは陸之語りでもちょっと述べたんですけど。だとしたら「心中」を演じたときだって彼女のまなざしは「生」を見ていたのでは、と。時村はモト子が劇団しょうちのすけと心中せずに生き延びたことを「心中を未完成にした」と否定的に捉えていますが、むしろしょうちのすけが死んでなおモト子が生きてることにこそ、雷蔵の意図はあったのでは、などと。彼は誰よりもモト子と、彼女の恋人であり、病による死を覚悟していた銅山を見て来た人だとも思うので。

陸之は一人だけ死ぬタイミングが違うわけですが、そういえば私は最初、彼女は時村という怪物に出会って(あるいは、時村というずっと探していた怪物と重なる存在と再会して)、最終的には死を受け入れたんじゃないかなって思っていたりしたんですよね。でも今は、そんなのじゃ満足してなかったんだ陸之は、という気がしている。彼女は人間の執着や抑圧から生まれた怪物が見たかった。そしてそれは「劇中夢」で実現した…と思うと、彼女の欲望もまた、しっかり劇場という力場に反映されてるんだな、とか。良かったね陸之(話変わりますが、陸之だけ死体がいまだに劇場の壁に埋められてる説、好きです)。あ、あと陸之の欲望の一つは「劇中夢が正しく演じられて幕を終える、次の舞台に繋がっていくこと」だとも思うので、最後には「私の勝ち!私の勝ちです!」って言えてるような気がします。