KANGEKI-LOG

観劇とか感激とか思考の吐き出しとか

【観劇記録】I will always remember you

演劇ユニット「カニバル!!!!」さんの公演「I will always remember you」を観てきました。お初のユニットさん、お初の演者さん、お初の箱。

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会場前の撮影フリータイムにて。一眼と魚眼持っていけばよかった。

わくわくしません?

写真の通り、とても小さな箱…もとい、実は蔵です。蔵なんですよ。それがまたいい。ドラえもんの、勉強机の引き出しからタイムマシンの世界に飛び込むような高揚感がある。日常から非日常へ、綺麗に気持ちが切り替わる。

会場に足を踏み入れた瞬間視界を占拠する、床に壁に貼られた付箋、付箋、付箋。カラフルで、そこはかとなくサイケデリックな色合いで、ドット絵めいても見える。目を凝らせば付箋には数式や英語や断片的な言葉が書き散らされている。観客を迎える3人の演者のうち1人は白衣を着込んでいる。科学者か、あるいは医者か。なんとなく、この舞台の空気がつかめてくる。

あらすじ

ある日、あの子は未来に向かってのみ時間を跳ぶことのできる能力を手に入れます。この謎を解き明かそうと、3人の男が言葉を尽くします。あの子を今に留めていたお兄さんが病死します。楔を失ったあの子は、お兄さんの夢だった火星への宇宙旅行が実現しているであろう遠い未来に跳ぶ決意をかため、朝焼けの向こうに、未来に跳んで行きました。

以下、ネタバレに配慮しようと思ったけど配慮できないし、考えるより感じろになってしまって電波になってしまった感想。箇条書き気味。記憶が抜けてたり間違ってるところがあったらごめんなさい。

Aパート

3人の男たちが矢継ぎ早に語る時代の移り変わりが面白い。あ、もしかしてあれのことかな、あれ、そのことは知らないな、え、今(劇中時代)はそんなことになっているのー!?と前のめりになる。その激動し変遷してきた時代と相反するかのように、ぽつんと浮かび上がる「あの子」の存在。こうたが口にした「あの子は本当に少ししか変わっていなかった」という趣旨のセリフ、見終わった今だと(こうた…)の気持ちになる。

Bパート

りょうた(演・三河さん)、語りまくる。目がキラッキラしている。圧がつよい(ほめてる)。淀みない、すごい。

この辺思い切り自己解釈になってるんですけど、宇宙と科学の話であり、自他と哲学の話であると受け止めてました(私の中では同質なんですこの二つ)。「こっち(自分)」と「あっち(他者)」が相互に作用することで、互いの存在が立証される。不可能が存在するがゆえに可能が存在し、「ない」が「ある」から「ある」がわかる…みたいな。極め突き詰めていったものは、一点に収束されてるかのように似ていく(ように見える)けれど、それが真に収束点(終わり)であるかは誰も証明ができない(シュレディンガーの猫のごとく)。可能と不可能、自分と他者の浸透圧。あ、だめだな電波めいてきた。とにもかくにも、小気味好く耳に飛び込んでいくる、心地よい語りとやりとりでした。

「あの子」が未来に跳躍した原理の解明(考察)に前のめりになるりょうたと、耳を傾けてはいるけれどどこか一歩引いているようなこうた、彼らのやりとりを整理していくように言葉を落としていくのぶ先生。「あの子」に向ける三者三様の眼差しの片鱗を感じたパートでもありました。

Cパート

医者であるのぶ先生(演・村上さん)と「あの子」の間にはまず「お兄さん(患者)」がいる、というのが印象的。「患者の妹」の側面が強かったんじゃないかなあ、などと。あるいは彼女自身も「患者」であったのか。

お兄さんの難病は、まるでりょうたが語った「あっち」にアクセスする術を得た人に課せられた代償のようでもある。そう思うと「あの子」はある種お兄さんと同質というか、「あっち」にアクセスができる上、本来なら命を削る代償に対抗する「抗体」を持っている「新人類」みたいにも見えてくる。

お兄さんと同じ難病の人たちには現状、緩和ケアのような対処しかできない。のぶ先生はお兄さん以前にも患者を看取ってきたのかな。それでも治療の道を模索してきたんだろうな。母数の少ない難病の解明よりも需要が大きい(利益が見込まれる)認知症の解明(対策)に研究費が持ってかれるのがリアル。

Dパート

こうた(演・掘さん)と「あの子」のパート。私の中では情景が薄川の河川敷でした(冬に見晴橋のあたりで朝焼けとモルゲンロートを撮ったんですよね)。北アルプスから登る朝日に向かって河川敷を駆けていく二人、朝日にとけて「跳んで」いくあの子、みたいなイメージでした。あの子を見送るしかできなかった、あの子の「楔」になれなかったこうた…。掘さんの走りながらや背を向けた後の台詞、めちゃくちゃ良かったです。言葉にしてしまうと陳腐だけど、疾走感と青春感めっちゃ浴びた…甘酸っぱかった…。

こうたからあの子への感情の矢印は恋愛でなくても全然全く構わないのですが、Aパートで、彼女が未来で彼らの前に姿を現したのが、先生の結婚式とりょうたの娘が生まれた時(記憶曖昧なので間違ってたら申し訳ない)と語られていたのを考えると、こうた…の気持ちになりますね。時の流れが異なってしまった、あの子とこうた…。

 

I will always remember you

タイトル。直訳するなら「あなたを忘れない」。「(あなたを)忘れない」って「(あなたにもわたしを)忘れてほしくない」の裏返しでもある気がする。私が貴方を忘れた時、貴方の存在によって証明されていた私自身もまた、喪われるのだ、みたいなことを考える。劇中では、三人の男が「あの子」を語ることによってその存在を証明していて、逆に、語られる「あの子」によって彼ら三人もまた、描かれている。Bパートの感想にも書いたけれど「相互作用」を強く意識した物語でした。

あ、あと最後に「あの子」の名前が「ユウ」だと明かされるわけですが、これは「you」でもあり「有」でもあるんだなと。

 

その他のこと

・衣装。こうたとのぶ先生がモノトーンだった分、りょうたのシャツが有色だったのが個人的に意味深に見えたというか、そこに意味を見出したいな…の気持ちになった。白い衣装がプロジェクターの映像で染まるのも面白かったです。

・舞台美術始め、プロジェクターや音楽といった演出が素敵でした。あの箱の規模感にすべてがぴたっとハマってて心地よかった。四方向からのライトも良かった。青のライトがブラックライトっぽく衣装に反射してて面白かったです。

 

めちゃくちゃ濃厚で脳みそが活性化した舞台でした。役者のお三方、裏方の皆様、素敵ば舞台をありがとうございました。

また思い出し次第追記します。!

 

 

【観劇記録】歌舞伎NEXT 阿弖流為〈アテルイ〉

www.shochiku.co.jp

新年一発目の劇観賞(円盤)でした。円盤、歌舞伎を愛する友人からの頂き物なのですが、鑑賞後思ったのは「あまりにも豪勢&贅沢な品すぎません…?」ということでした。良いのですか、この円盤を永遠に私のものにしてしまって…もう放さないよ…。
そして手元には自分で買った劇団新感線さんの「アテルイ」もあるんです。こっちも観るのよりより楽しみになりました…というか公演としてはこちらが先なのですね。

 

そんなこんなでご縁を頂いた「歌舞伎NEXT 阿弖流為」…最高でした

もとから阿弖流為と田村麻呂周りの、東征と平城・長岡・平安の遷都のあれこれは、児童文学「勾玉シリーズ/荻原規子」3作目「薄紅天女」で小中でどっぷりはまった題材でもあり、ハマらないはずはなかったのですが…想像以上でした…!

冒頭で無頼風の田村麻呂(演・中村勘九郎)が出てきた時点で最高が約束されてしまい、盗賊の女統領(立烏帽子/鈴鹿、演・中村七之助)の華麗な殺陣にウワーとなって、ワイルドな雰囲気の阿弖流為(演・松本幸四郎)の登場にひっくり返り、さらに鈴鹿蝦夷の血族(阿弖流為の恋人)という展開に…精神は逆立ちをしていた…。ここまででまだ序盤も序盤だった…。

阿弖流為鈴鹿を守るために蝦夷の神(アラハバキ)の眷属である白い獣を殺し、その罪で蝦夷の一族を追い出されているのですが、鈴鹿によって名を取り戻し、蝦夷の長として、朝廷に抗うことを決める。田村麻呂と阿弖流為は初見から互いの性質に共鳴/共感を覚えているのですが、同時に、武人として、大和人(蝦夷人)として、ともに肩を並べ生きることはない、ということを明確に悟っているのが潔く、切ない。ですし、後半にそんな田村麻呂に共生の道を示すのが、誰よりも阿弖流為を愛した女である鈴鹿なのが、とても胸にくる。

歌舞伎は初心者なので月並み&頓珍漢なことしか言えないのですが、歌舞伎ってこんなに動くの!?って程に動く!飛ぶ!斬る!ちゃんばら好きにはたまらない!それでいて絵画的な見やすさが考え尽くされているというか、緩急、止めの技巧が凄まじいと思いました。特に斬られる側の。ただ流動的に動いているだけではなくて、かちりかちりと画面がハマって絵になるというか…もちろん一般的な舞台の殺陣にも共通したことだと思うのですが、殊更に見せ方に魅せられたという感覚になりました。

あと鈴鹿の!海老反り(この言い方であってる?)が!美しすぎて!白い獣に襲われるシーンなのですが、あまりの美しさに脳に焼き付いて離れなくなってしまった…。円盤の特典ディスク(!)には稽古中の映像も収録されていたのですが、衣装を着けていない稽古中の中村七之助さんは、容姿は確かに男性なのに、声も、身のこなしも、全てが鈴鹿で、視覚と聴覚のズレで頭がバグったかと思いました。文字通り「神憑り」の演技だなと思う。特に鈴鹿は終盤に明かされるあることと、七之助さんの演技があまりにもマッチしすぎていて震えました…。凄まじい。

田村麻呂と阿弖流為は(先入観込みの)鏡映しのイメージが強すぎて、まだ彼ら一人一人をきちんと観られていない気がする。勘九郎さんの田村麻呂は風来坊のような自由さ、軽快さに惹かれるけれど、その実「家(血)」を断ち切れない不自由さに対する葛藤(そして諦念)を感じるところもあり、幸四郎さんの阿弖流為は厳格そうに見えて一度一族を追われた身でもう一度「選んだ」というしなやかさみたいなものを感じたり。一筋縄ではいかないものを抱えた、互いが互いを浮き彫りにする二人だったなと思います。そして勘九郎さんも幸四郎さんも実はとてもお茶目な方でしょ…伝わってきた…(好き)。

好きな題材だったのも相まって、始終目が釘付けなめちゃくちゃ濃密な舞台でした。良い観劇初めになりましたありがとうー!!(ネタバレ込み走り書きは最下部に順次追加)

 

歌舞伎NEXT『阿弖流為アテルイ)』

作・中島かずき 演・いのうえひでのり

阿弖流為市川染五郎
坂上田村麻呂利仁:中村勘九郎
立烏帽子/鈴鹿中村七之助
阿毛斗:坂東新悟
飛連通:大谷廣太郎
翔連通:中村鶴松
佐渡馬黒縄:市村橘太郎
無碍随鏡:澤村宗之助
蛮甲:片岡亀蔵
御霊御前:市村萬次郎
藤原稀継:坂東彌十郎

美術/堀尾幸男   照明/原田保   衣裳/堂本教子
音楽/岡崎司   振付/尾上菊之丞   音響/井上哲司 山本能久
アクション監督/川原正嗣   立師/中村いてう
ヘアメイク/宮内宏明   舞台監督/芳谷 研
宣伝美術/河野真一   宣伝写真/渞忠之   舞台写真/Sakiko Nomura

 

・あと蛮甲とクマコがあんなに描かれるなんて…予想してなかったよ…異種婚姻譚(?)じゃん…(???)。「生き意地の汚い男」は「髑髏城の七人」の裏切り渡京を思い出しちゃいますね。よっ、憎まれっ子世にはばかる愛され役!

 ・田村麻呂の「義に『大』が付いて『大義』になると胡散臭くなる(記憶あいまい)」といった趣旨の台詞にははっとさせられました。「正義」とかもきっとそう。

・ 阿弖流為、の名をとりもどさせたのは、鈴鹿ではなくアラハバキ…って考えると、阿弖流為は名前を失ったままなら、もしかすると田村麻呂と武人として肩を並べて生きていた未来があったのかも…知れない…みたいなことを考えてしまった。名前というのは寄る辺であるので。名前を取り戻せない 阿弖流為蝦夷の地にたどり着けない気がするのだった。

 

完全に個人的な話なのですが、アテルイと田村麻呂もとい、あの時代の東征と平城・長岡・平安の遷都のあれこれは、私が小中でどっぷりはまった児童文学「勾玉シリーズ/荻原規子」の三作目「薄紅天女」のベースになっている時代でありまして。田村麻呂はあの物語ではサブレギュラー的ポジション。彼は都の貴族で有りながら、東の蛮族と恐れられていた蝦夷アテルイに共鳴・共感する、幼心に大層印象に残っていた人物なのでした。私は何でかずっと(足を運ぶ機会に恵まれないのだけれど)東北という土地に引かれるものがあって、清水寺に立ち寄った際には、ついついアテルイとモレの碑に足を運んでしまったり、する。

 

【観賞記録】絵本美術館・森のおうち『猫だらけ絵本原画展』

 長野県安曇野市穂高有明の「絵本美術館・森のおうち」に両親と3人行きました。親子で美術館なんて記憶にある限り初めて(!)。
 森のおうちは、その名の通り森の中にある小さな美術館。洋館風の佇まいが愛らしく、館長さんやスタッフさんが来館者をとても温かく迎えてくれます。個人的にも何回も足を運んでいる、安曇野観光超絶おすすめスポット。

\まずこの佇まいにめっちゃ癒やされる/

 そして同館のオススメポイントは何より…「絵本を本文とともに丸ごと原画で楽しめる」ところ!

 各企画展では原則、展示対象の絵本の挿絵原画全てが、本文(キャプション)を添えて飾られています。ぐるっと順路に従って一回りすると、1冊の本を楽しめる趣向。絵だけでなく、物語を楽しめる。絵本の世界に没入できる。これがとても良いです。

 「絵本を読みたいなら絵本を読めば良いじゃない」と思われるかも知れませんが、違う。「原画」は「印刷された本の絵」とは全く違う

 カンバスや絵の具の凹凸、製本後にはすっかり隠されている修正の跡、文字が入れられる部分の余白、印刷の時には切られてしまう端の描き込み――情報量が凄まじいんです。絵に向き合う描き手の息づかいがあちこちから感じられる。あと、絵本は印刷の際に原画から色合いが結構変わってたりする(その意図を考えるのもまた、楽しい)。

\開催中の企画展はこちら/

 この企画展では、4冊の絵本を堪能できます。

《企画展》町田尚子の猫だらけ絵本原画展
『なまえのないねこ』竹下文子/文 町田尚子/絵 (小峰書店)
『ネコヅメのよる』町田尚子/文・絵 (WAVE出版)
『ねことねこ』町田尚子/文・絵 (こぐま社)
《同時開催》江口みつおき絵本原画展
『変身ミーちゃんとおともだち』江口みつおき/文・絵 英訳/江口信男 (銀の鈴社)

 町田尚子さんの作品はなんと言っても猫の表情・仕草がたまらなく「猫」!。ちょっとふてぶてしい感じとか、つんとすました感じとか、そして何より、どの猫ちゃんもみんな違う個性があって、愛らしい。描き手の愛情とこだわりを感じます。

 インスタのイラストは人間っぽい(ファンタジー的な)猫が多いのですが、今回展示されているのは動物感あふれる猫という印象です。

 特に好きなのは『なまえのないねこ』。

なまえのないねこ|数ページ読める|絵本ナビ : 竹下 文子,町田尚子 みんなの声・通販 なまえのないねこ、竹下 文子,町田尚子:1700万人が利用する絵本情報サイト、みんなの声16件、よかった♪:新刊絵本紹介メ www.ehonnavi.net
靴屋のネコは「レオ」、本屋のネコは「げんた」、八百屋のネコは「チビ」。町のネコにはみんな名前がついているのに、このネコには名前がありません。
お寺のネコ「じゅげむ」に「じぶんで つければ いいじゃない。じぶんの すきな なまえをさ」と言われて、町を歩きながら自分に合う名前を探しはじめます。

 母と私はラストでちょっと鼻がつーんとしてました(涙腺の弱い親子)。
 そして、父(芸術に関する情緒は小学生)が楽しんでいた様子だったのは江口みつおきさんの『変身ミーちゃんとおともだち』。このお話も可愛いんですよ…。

 老夫婦に拾われた猫の正体は化け狐で…という筋書きなのですが、時々変身が解けてキツネのしっぽがでてきちゃうんです。猫以外にもとあるものに変身して読者を驚かせ、そしてラストには親子3人で「えー!でもいいね!」となりました。同館のある信州(長野)の玄蕃稲荷の伝説も絡んでいます。やわらかいタッチの絵柄に笑みがこぼれ、最後にはほっこりできる物語です。

 展示を巡る中で、母が「猫好きの人はすべての猫が好きて、犬好きの人は自分の犬が好き。だから展示ものは猫の方が人がよく集まるのよね」と言っていたのが印象的でした。確かにそうかもしれない。

\自慢の猫ちゃん募集されてます/

 1階の廊下に設置されたコルクボードに、「我が家の猫ちゃん」たちが集まり初めてました。ほっこり。あと2階の図書室にも入ったのですが、懐かしい絵本や児童書がたくさんあって、母と「これも読んだね」「あれも読んだね」と盛り上がりました…し、民話のコーナーに千葉県の実家&地元近くの民話を集めた本があって驚き。母が写メってました。笑
 帰りがけにはミュージアムショップで、私と母で絵本を2冊と、父は猫の絵がプリントされた眼鏡拭きをお土産に。温かく送り出していただきました。

 今回は立ち寄りませんでしたが、館内のカフェ「ポラーノ」もオススメです。メニューを眺めると「山猫コック長おすすめ珈琲」「注文の多いカレーライス」「雨ニモマケズとまとごはん」…そう、館長さんは筋金入りの宮澤賢治ファン(&研究者)!度々賢治作品関係の展示もされていて、館長さんの濃~い解説がたまらないのです。

 小さな美術館ですが没入してしまうと本当にあっという間に半日過ごせてしまうような空間です。周辺にはカフェやギャラリー、作家さんの工房もたくさん。私はこの、自然と文化が穏やかに寄り添い合っている安曇野の空気が大好きです。

 そしてコロナ禍で観光業が大打撃を受ける中、森のおうちさんも例外ではありません。「応援団」を募り、宿泊券(コテージがあるのです。レトロでかわいい!)補助券と合わせたご支援を受け付けてます。あと絵本や原画の通販もされてます~ぜひぜひ。私もささやかではありますが「応援団」の一員です。

[森のおうちNews] 絵本美術館存続のための御支援のお願い www.morinoouchi.com

  そして今回、補助券とGOTOを併用してコテージに宿泊したのですが、地域共通クーポンまで付いておやすさに目玉飛び出るかと思いました…(部屋料金なので、3人で実質1万円程度でした…)。

 いわゆる趣味仲間での「合宿」にも向いているのではなかろうか。今度は友人連れて行きます。大好き。

 『猫だらけ』企画展は来年1月26日まで開催中です!

【観劇記録】 そよ風と魔女たちとマクベスと

 やっと、やっと生観劇できる日が帰ってきた…!と、喜びを噛み締めながら8ヶ月ぶりに劇場に足を運びました。シェイクスピアの「マクベス」を下敷きにした「そよ風と魔女たちとマクベスと」初日(松本公演は11日まで)。
 前半はネタバレなしの感想です。

『そよ風と魔女たちとマクベスと』 | まつもと市民芸術館 www.mpac.jp

 まつもと市民芸術館の特設会場、コロナ対策で空けた席には市民らから募ったダンボールの観客「ペーパーピーポー」がいるんですけど、私の左にはオラフが右には笑顔の女の子がいました。こう言うの良いよね。2列目ほぼ中央で観劇。

客席に座る“ペイパーピーポー(紙の観客)”の様子。(撮影:山田毅) [画像ギャラリー 4/10] - ステージナタリー 客席に座る“ペイパーピーポー(紙の観客)”の様子。(撮影:山田毅) - 串田和美「僕たちにとっては満席です」TCアルプ×小 natalie.mu

 タイトルやフライヤーからファンタジー/絵本感を感じていたのですが、筋書きはごりごりにストレートな「マクベス」でした(その辺は観劇後に監督インタビューを拝読して納得&舞台を見て感じたことに対する確信を得る。個人的には観劇後読むの推奨!)。

 開幕前、奥行きのある特設舞台の奥から鳥の囀りに混じって金属が打ち合うような音が聞こえる。目の前には緞帳ではなく、カーテンがつけられた木枠。枠にはローラーが付いているので劇中あちこちに稼働して、カーテンの向こうで演者が入れ替わり、ふいに現れたりして「おっ」となる。

 影絵のような演出も好きでした。一箇所から照らして明確な絵を映しだすのではなく、いくつかの光を当てることで複数の影が現れる趣向で、不安定感とざわめき感がある。光といえば、王位簒奪後のマクベスと夫人を一方向から照らす場面があって、そこでは光と影がとても鮮明に分かたれていて印象的でした。そうそうこれが舞台…これが演出…。

 個人的な見所は、マクベスに運命を告げる「魔女」「たち」の存在と、「女(の股)から生まれた者にマクベスは殺せない」に対する、マグダフのアンサー。監督もインビューで触れていらした部分でした。予備知識なしで観て驚くタイプの舞台というより、マクベスの筋書きを押さえておくことで没頭できる舞台だと思います。とはいえわたしはwikiと以前見た「M夫人の回想」くらいの知識しかなかったですが…それでも十二分に楽しみめました!

 「マクベス」、長く長く演じられ続けてきた戯曲だからこそ、筋書きこそ変わらずとも、きっとその時代時代の物語や人物の「マクベス」が存在していたのだろうな、と。そして、フィクションは現実からは切り離せないものなのだと改めて感じます。だからこそ、面白い。

 コロナ対策で多少客席と舞台の距離を空けているとはいえ、役者さんの表情から額に光る汗までしっかり見えて、音があちこちから耳に飛んでくるのがもうほんと「生」で。このコロナ禍の中、この舞台を届けるために尽力してくださったすべての方に感謝を。人間、声、音、呼吸、演出、あらゆるものが一度きりで交差する、奇跡のような空間にまた足を運べて嬉しかったです。ありがとうございました。

*memo*
原作 W・シェイクスピアマクベス」より
脚色・演出・美術・
照明・衣裳 串田和美
出演 草光純太、近藤隼、下地尚子、武居卓、田村真央、深沢豊、細川貴司、
毛利悟巳、串田和美

以下はネタバレ初見感想(考察未満の書き散らし)
・「魔女」に男性が自然に組み込まれてるのが個人的にすごく印象的でした。そして、ワンピースっていまし男性が着てもなんら違和感ない。発見。なびく裾は「風」の象徴でもあるようで、それがマクベスには与えられていなかったのも頭に残る。
・劇場では「ワンピースを身にまとう男性」に対しての笑いがごく少数ながらあったように感じたけれど、もうそういう感覚古いよなーと。少なくともあの舞台では男性女性関係なく「魔女」であり「そよ風」。
マクベス以外は全員「魔女」の役をしているわけですが、なんとなく風というのが古来から「魂/精神(Pneuma)」と関連づけられてきたように、この物語の「そよ風」もそういう存在なのかなと思いました。私のかけらとあなたのかけら、すべての集合体。噂話とか人の念みたいな物にも感じる。
・タイトル、「マクベスと」の最後の「と」のあとには「わたし(観客)」たちが含まれるような、そんな気が。
・この作品のマクベスは傍目からみるとけして孤独ではなかったように見えて、王位(栄誉)も妻(愛)もかつては友人もいたのに、それらを結果的に「認識しなくなった」のはマクベスだったんじゃないかと。人は他人に認識されて初めて存在できる、といった趣旨の場面があったと思うのですが、マクベス夫人が子供を幻視したのも、マクベスに認識されなくなったが故じゃないかなとか。あと、序盤で夫人のお腹にマクベスが頭を当てて胎児のように丸々シーンが、2人がラブラブしてたシーンよりも印象的だった。あの時、マクベスの一部が夫人の胎の中にかえっていったような気すらした。
・幕間みたいなメタ場面も張り詰めていた空気が一瞬緩んで、そしてあくまでもこの舞台はただの戯曲ではなく今この時の「現実」と地続きの場所にあるのだと実感した。
・バンクォーの亡霊が祝いの席に現れる場面、諸侯が瓶なのとシャンデリア降りてくるのが好きだったな。あの小道具アップでみた�� �です…(表情が気になる)。あとテーブルがあとで立てられて照明になるのも好き…。
・マクダフの妻と子どもの会話シーンで、その後の展開がわかってるからこそ泣きそうになった。子供のお人形の足パタパタするの可愛い。
・「怒り」から生まれたマグダフ。原作では「帝王切開(だから女の股からは生まれていない」だった部分を「怒り」に解釈するのは、今の社会に当てはめても色々と想像が広がります。
・最初剣がぶつかった時効果音つけてるのかと思ったらガチの衝突音でしたね…。これで思い出されたのが開幕前に流れていたBGMの鳥のさえずりに混ざっていた金属音(と私は感じた)でした。火花散るのも「生!」って感じで、客席も息を飲んでる空気が伝わってきてどきどきしました。
・最後、暗転して、まるで子供時代に戻っていくような、寝しなに物語を語られているかのような「ロングロングアゴー(昔々)」の繰り返し。この物語はマクベスの死によって幕を引かない、むしろまた最初に戻る、繰り返すような、闇から小さな黒点に縮小されていく、遠のいていくような、そういう舞台なのだなとまだまとまっていないのですが感じました。
・もう一度見れば解像度もっと上がるかなと思ったのですが、仕事…残念。

また何か思い出したら追記します。11月は、真夏の夜の夢

「可愛いものが好き」と表明したら「私」は死ぬ気がしていた

 「可愛いものが好き」と表だって言えない子供だった。親にも、友達にも。男子に混じって、駆け回って泥だらけになって遊ぶのがいっとう好きだった。でも同時に、ディズニープリンセスのドレスにも、おジャ魔女どれみの魔法アイテムにも憧れていた。パステルカラーでフリルのついた砂糖菓子みたいな服や、ペンケースも、本当は欲しかった気がする。でも、「可愛いもの」に対して、私はいつでも慎重だった。

 アラサーになった今、私の中の「可愛いもの」に対する慎重さについて考えてみたとき思いあたったのは、私にとっての「可愛いもの」は、イコール、「他人に自分を『女の子/女性』と判別させるもの」なのだ、ということだった。

 私の性自認はまごうことなく「女性」だ。心と体の性も一致している。「じゃあ良いじゃん」と思われるかも知れないが、そうじゃない。

 「可愛いもの=女の子/女性らしいものが好きな私」を、ひいては「女である」と他者に表明すること――相手にそう認識されることは、私にとって幼いころからこの方、弱点や急所を相手に曝け出すのと同等の行為だった(ということにも最近気付いた)。その危機感が形成されたのは、幼いころ、父(男性)に逆らうことのできない母(女性)を見ていたからかも知れないし、私以外男子だらけの幼馴染み集団につまはじきにされたくなかったかも知れないし(結果的に、今は私だけ疎遠になっている)、学校や社会生活の積み重ねの中で構築されていったのかも知れない。

 重ねて言うと、私の性自認はどこまでも「女性」だ。でも他人に「女性」扱いされたとき、私は酷く傷つく。「女性」として見られた瞬間、私は、私という存在は、「個人/人間」として見られてない/扱われていない、死んでしまった、と感じる。それが耐えがたく苦痛で、受け入れがたい。

 異性に好意らしき感情を向けられると、言いようのない気持ち悪さを覚え、極端なまでに距離を置く癖があって、それが長年、自分でも疑問だった。「好きだな」と思った人に対しても同じで、むしろ好きな人にこそ、「異性に対しての好意/興味(らしき感情)」を向けられた時の絶望感と失望感は凄まじかった。その感覚も、結局は上記のことがらに起因するのだと思う。

 でも先日、小さなブレイクスルー(と言えるほどでもないけど、小さな転機)があって、だから今は私はnoteを開いている。

 髪を数年ぶりにベリーショートにした。特に何があったわけでもないのだけれど、美容室の椅子に座った時に唐突に「切ろう」と思い至って、お願いした。6年間通っている美容室は客席が三つだけの小さなお店で、秘密基地のような店内に、アンティークめいた鏡と椅子があって、ドライフラワーや流木が飾られている。いつも自分の髪型も色も決められず「さっぱりして染め直したい」とだけ伝える私の珍しい注文に、ハサミを手にした店長はちょっと驚いていた。

 今までベリーショートにした時、私はずいぶんこざっぱりした自分を鏡で見て毎回、「男みたい」と思っていた。そこには安堵と、一抹の寂しさのようなものがあった。自分に対して「男めいた振る舞いをしなくては」と思っていたところがあったし、周りにもそういう振る舞いを求められているような気が勝手にしていた。

 でも、今回は違った。鏡を見た時、憑き物が落ちたように「あ、私がいる」と思った。髪も染めていたから、黒髪で切っていた今までと印象が違っていたのもあるかも知れない。でも、今までにない軽やかな気持ちで「私だ」と思った。そして、自分が今までずっと、女らしく見られることも、男のように見られることも嫌だったことに明確に気が付いた。私はずっとずっと、ただ「私」として在りたかったし、他者にも「私」を見て欲しかった。

 でもそれがすごく難しいことだというのも、わかっている。私自身だって、他人をそのままの存在/個人として見ていないときは思っている以上にたくさんあるのだろう。でも、私が私であることを、私が「私」以外で定義されることへの抵抗を、諦めたくないと思う(もちろん、他人に対しても)。

 ベリーショートにしたら会社の人にも「イメチェンだね」驚かれたけれど、誰にも「ボーイッシュになったね」とか「少年みたい」とか、今まで聞いたことのあるような言葉をかけられなかった。大人だし、仕事の付き合いというのもあるだろうけれど、それにとても救われた。「似合ってるね」の言葉が、今までになく素直に受け入れられた。嬉しかった。

 ベリーショートにしたら、ピアスがよく映えるようになった。ピンクトルマリン、パール。気分のままに「可愛い」と感じるものも装ってみる。もちろんそれ以外のものも。何をつけても、鏡を覗けばそこには「私」がいる。確かめるように「私だ」と思う。

 *

 同級生が結婚をしたり、子供を産んだり育てたり、と人生の転機を迎える中で、私はすごくその手前でまごまごして悩んで頭を抱えているのだけれど、それでも、幼い頃からずっと握りしめて手のひらの中で凝り固まってしまったものを、年を重ねるにつれてほぐしてはいけているような気がする。 
 人を好きになることも好きになられることも、愛することも愛されることも全部全部ままならないけれど、少しずつ、息がしやすい方に向かっていけたらと思っている。

【観劇記録】タイムリピート~永遠に君を思う~

 演劇女子部さんの「タイムリピート~永遠に君を思う~」がU-NEXTの配信に追加されていたので観ました!演劇女子部…と言いつつも、「Juice=Juice」主演の舞台は初視聴。

 ジャンルがSFと聞いたとき、「続・11人いる!」「トライアングル」を観た身としては心の隅っこで「またSFかぁ…内容被ってそうだなあ」と思っていたのですがめちゃくちゃ面白かったです(毎回言ってる)
 タイトルの通り「タイムリピート(=リープ、時間跳躍)」を軸としているのもあり、3作の中で一番がっちりSF感がありました(無論11人とトライアングルは設定含めてあのそこはかとないファンタジー感が良いわけですが!)。

 一つの舞台として綺麗にまとまっていて、筋書きもわかりやすく良い意味でストレート。伏線の拾い上げと回収もしっかり楽しめ、展開もドラマティック!な、個人的には初見さんに勧めたい(いや私もにわかですか)作品!です!

あらすじ
宇宙歴3255年。
銀河連邦とロア帝国は30年にわたり、冷戦状態となっていた。
銀河連邦の宇宙船・乗組員総勢13名を乗せたエスペランサ号は、希少エネルギー・ネオクリスタルが眠る惑星を発見。着陸準備に入ったところ、突如、小惑星のような謎の天体が現れ、衝突により大破してしまう…
ところが、乗組員の鉱物学者・ルナは再び目を覚ます。気づけばそこは、大破する前のエスペランサ号内部だった。永遠に繰り返される時間の中で、やがて一つの真実が明らかになる。

 主人公・ルナは、過去の経験から他人に心を許せず、全てのクルーに対して常に刺々しい態度で接してしまう女性(少女)。寄らば斬ると言わんばかりのツンツンっぷりが死の恐怖で崩れ、繊細で臆病な面が覗くようになっていく様が愛おしいです。
 もう1人の主人公でソーマは、いかにも「研究オタク」感の漂う宇宙学者。早口で時にどもる口調、そして見るからにへたれ。でも誰よりも心優しく、研究熱心で好奇心旺盛な青年です。
 2人を中心に時間跳躍をしたキャラクターたちが死の運命を覆そうと奔走します。なぜタイムリピートが発生したのか、リピートする条件は何なのか、彼らを死に陥れる謎の小惑星の正体とは、そして連邦と帝国それぞれの思惑…が絡み合う物語です。

 繰り返される時空での役者の細やかな芝居が見どころの一つだと思います。全体的に細部に見どころがあると感じられた舞台でした。
 時間跳躍したキャラたちはタイムリープに動揺したり繰り返すうちに腹をくくったりするわけですが、一方でその時間軸は時間跳躍していないキャラたちにとっては常に「はじめて」でもある…そういう細やかな部分が、表情や仕草で丁寧に表現されている印象を受けました。
 細部と言えば、13人が舞台上で一列に並ぶ場面があるのですが、全てのキャラ(役)の個性が立ち方一つに現れていてぞくぞくしました。足の開き方、左右の位置、重心、全員違って「このキャラならこう!」がまさに体現されてるんですよ。好きすぎる…。

 舞台はコンパクトで装飾もシンプルなんですけど、個人的には「役者の芝居で世界が見える」のが好みなのでグッジョブでした。小道具だと、キャラが持ってるタブレット端末が好きだなー!アクリル板で作られてるのかな。ああいう細かい近未来感(+手作り感)漂う演出がたまらない。
 あと衣装が奇抜すぎない程度にスタイリッシュで、クルー全体での統一感があるのが好きです。赤・オレンジが基調な分、ソーマの青とルナの白(ベージュ?)が際立つ感じも良い。タイトスカートを着ていらしたアリサ(船長)とリョウ(料理人)のおみ足がすらっとしていて美しかったな…。エイジやテルの機関士組の作業着風衣装も好き。

 ネタバレできないのが歯がゆいのですが、抱いた違和感が本当にきれいに明かされていくのが爽快でした。結末含めて私は「好きだー!」と思える作品。ぜひぜひ(また最下部で好き勝手に語ってます)。

*memo*(2018年公演)
Juice=Juice
稲場愛香(鉱物学者 ルナ)宮本佳林(宇宙物理学者 ソーマ)
宮崎由加(船長 アリサ)金澤朋子(副船長 ジン)
高木紗友希(機関長 エイジ)植村あかり(料理人 リョウ)
梁川奈々美(医者 マドカ)段原瑠々(通信士 ツグミ
高瀬くるみ(軍人 レオナ)前田こころ(軍人 カナタ)
清野桃々姫(機関士 テル)山﨑夢羽(操舵手 ミカ)
岡村美波(操舵手 エリー)

脚本 太田善也
演出 西森英行(Innocent Sphere
音楽 和田俊輔
振付 YOSHINO
プロデューサー 丹羽多聞アンドリウ


以下初見ネタバレメモ
・テル、マドカの暗躍(?)までは読めていたけれど、当初から引っかかっていた「何故ルナがタイムリピートできるのか」が明かされた時には「わー!」ってなっちゃったよね。初期に「帝国ではなく連邦側の手先(占有権を得るために早く上陸させたい)」のイメージを植え付けられてたのも大きい。まさか彼女が帝国側の人間で「信頼できない語り手」だったなんてー!まんまとしてやられた観客です(ちょろい)。
・エイジ役高木紗友希さんの演技、一声目から彼の人柄が伝わってきて「わー!好き-!」ってなっちゃいました。口調は荒くてべらんめえだけど、人情に厚い機関士が最初から最後まで舞台にいたよ~!
・副船長ジン役・金澤朋子さんもかっこよかったな-!ロン毛(?)がまた「良い男」にしっかりなってるところもすごい。船長への片思いが敗れ去ったシーンは映像にも笑い声入ってて(わかる)となりました。ちょっとギャグになっちゃったけど、イケメンながらもクルーからの信頼厚く親しみやすい彼が副船長なのは、納得の極みなのです。
・カナタ曹長役・前田こころさんの空手(?)の型キレッキレでニコニコしちゃった…手足がすらっとしているのも相まって格好いい。所感なのですが、Juice=Juiceは平均身長が他のユニットより高めだったりしませんか?単純に顔の小さいスタイルの良い子が多いのかしら。
・ソーマ(宮本佳林さん)のどもりは演技なのか素なのかちょっと気になって時にふふってなったけど、ちゃんとそれが「ソーマ」になってて好きです。
・ルナのトラウマ(であり潜在的な願いでもあった)「手をつなぐ」がタイムリープの鍵になるの泣いちゃうんだよな…。
・ルナ(稲場愛香さん)の選択、結末は脱出ポッドの存在が臭わされていたゆえに予想外ではなかったんだけど、でもどこかあの時空で決着が付くのではとも期待していたので、ルナとソーマの世界線が分かたれてしまったのは切なくてほろっときた。
・「恋」ではなく「愛�� �の物語であったのが個人的には良かったと思う。これはルナとソーマのことだけではなくて、クルーそれぞれに船の外に大切な人が居ると描いてくれた点でもそうで、世界や人のつながりの広さ、そして生きる(生き残る)意味についても考えさせられた。
・切ないラストだけど、私はいつか、ソーマがタイムリピートの法則を解明して、爆発を誘発するクリスタルクォーツを遮断する装置も作って、あの日を繰り返し続けているルナを救う、そんな日が来ると信じています。し、あの日を繰り返す中でもルナはきっと、ソーマの存在に励まされ続けて行くのだろうな。ふたりが手をつないで笑いあえる、愛を伝え合える日がまた来ますように。

出会った時には終わっていたバンドと私が9年越しにはじまった話

 初めて買ったCDは、出会ったのとほぼ同時期に活動を休止したバンドの作品だった。

 2011年1月1日。高校3年生の私は、唯一自由に使えるお金であるお年玉で(我が家はお小遣い制度がなかった)、そのCDをAmazonで注文した。

Miles Away www.amazon.co.jp 500円 (2020年09月11日 21:56時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する

 2011年6月に活動を休止した、青森県出身の4ピースロック・バンド「LOCAL SOUND STYLE」――私は今も彼らのことをほぼ何も知らない。ただただ、出会ってから今まで、曲を繰り返し聴き続けている。

 初めて耳にしたのはニコニコ動画で目にしたRPGゲームのMADだった。
 曲名は「Sympathy(シンパシー) 」。歌詞は全て英語で断片的にしか聞き取れなかったのに、イントロから最後まで惹きつけられた。

 曲調には、澄んだ青空を思い起こすような爽やかさと疾走感があった。ボーカルの男性の歌声は飾り気がなくて少年めいていて、まっすぐでどこまでも伸びやかだった。

 それなのに。

 あの曲は、間違いなく、あの頃の私が抱えていた悲鳴に似た叫びそのものだった(ように聞こえた)。世の中の窮屈さとか息苦しさとか自分の居場所や未来への漠然とした不安だとか、そういうの全部ひっくるめて、青空に叫んでぶつけている曲だ、と思った。添えられていた字幕を見なくてもそう感じていたと思う。言葉を超えて、音と声が私の内側に飛び込んできて共鳴した。
 全てが初めての体験だった。
 雷に打たれたように「これは私の曲だ」と思った。

 2011年は、多くの人にとって忘れられない年だと思う。東日本大震災の年だ。

 CDを買った1月、震災が起きるなんてつゆとも知らない受験生の私は、iPodから流れる音楽を毎日毎日しがみつくように聴きながら、今までの不勉強を嘆きつつセンター試験に向けて勉強をしていた。

 それまで聴いていた曲といえば、弟から借りたボーカロイドだとかツタヤでレンタルしたアニソンばかりだった。だから、LSSのCDをiTuneに取り込む時、とてもどきどきしていた。英語の歌詞は勉強の妨げにもなりづらかった。

 LSSの曲は暗いトンネルを進む私の鬱憤や不安を代わりに叫んで吹き飛ばしてくれて、それでいてトンネルを抜けた先にはきっと光と青空があるのだと教えてくれる、そんな存在だった。

 受験も無事終わって大学の入学式を待つばかりの頃に、震災があった。大学の入学式はなくなって、スタートも5月からになって、やることもできることもないのに気忙しくて、大学が始まったら始まったで慌ただしかった。夏頃、ふと思い立ってLSSについてインターネットで調べ、私は、彼らの活動停止を知った。
 出会った時には終わっていた。知るべき時に知る機会を逸してしまった。
 私の手元には彼らの曲だけが残った。wikiには活動停止の理由も一応書き込まれていたけれど、そもそも知らない人たちのことでもあったから、なにもぴんとこなかった。曲だけがずっと、私のそばにあった。

「Sympathy」は10代の私の息苦しさを空に打ち上げてぶちまけて昇華してくれたような曲で、いっとう救われた曲だったのだけれど、もちろん他の曲も好きだ。相変わらず歌詞全部を聞き取れるわけではないけれど、聴いた後に少し足取りが軽くなって背筋が伸びる曲ばかりで、受験機とかわらず私にとってのお守りなのだ。

 実はここからが実質本題なのだけれど。
 今回私はnoteのお題企画「#はじめて買ったCD」を書くために改めてCDを引っ張り出し、そして久々にgoogleの検索窓に「Local Sound Style」と打ち込んだ。

 そしたら

LOCAL SOUND STYLEが約8年ぶりに活動再開、2020年2月にはワンマンライブも(コメントあり) LOCAL SOUND STYLEが活動を再開。2020年2月24日に青森・Mag-Netでワンマンライブ「LOCAL S natalie.mu

 なんだってー!?!?

 このコロナ禍の影響でライブの中止やアルバム発売の延期などに見舞われてはいるものの、昨年に再始動されていた。

 Apple Musicに最新にして再録第1弾のアルバム「All That Remains」が入っていたのでDLをして聴いた。「Sympathy」の再録ver(でいいのだろうか)も収録されていた。再生した瞬間に「あ、今まで聴いてきた曲と違う」と思った。楽器のアレンジも少しずつ違うし、何より、歌声が。

 当時は少年めいてた(と感じた)雰囲気が、ほのかにやわらかく大人になってる感じで。なんかもうそれだけで泣けた。大きく変化しているわけではないのに、今はもういつかとは別の場所にいる人が歌っているのだとわかって、時の流れと、生きてるってことと、人は変化してくんだってことと、でも変わらないものもあるんだ、っていうのが端々から感じられて、1人で号泣してしまった。

 私も今、9年前の自分には想像のできない場所にいる。Iターンで縁もゆかりもない地方都市に就職したし、職業だって思いもよらない職に就いた。そういう物理的なこと以外にも、本当に今の私は、9年前には少しも想像できない私になった。

 自分のことともごっちゃになった気持ちがとにかく胸を占めて、どの曲を聴き比べても泣いているし笑っている。ありがとう、という気持ちに包まれる。LSSのサイトを開いて、メンバーの名前を覚えるところから始めている。いつかライブに足を運びたい。ありがとうと伝えたいし、生の演奏と歌声を全身で浴びたい。

LOCAL SOUND STYLE LOCAL SOUND STYLEオフィシャルWEBサイト www.localsoundstyle.jp

 「All That Remains」はCDでも注文した。明後日には届く予定だ。
 次に控える再録2弾のアルバムは「Make It Through」。その次にはきっと、新曲がくるのだろう。出会った時には終わっていたバンドが、これから追いかけられる、同じ時を進んでいく存在になるとは思っていなかった。10代の私を救いあげてくれた楽曲に20代になっても励まされながら、そして新たな曲に背中を押されながら胸を張って30代と、その先へと進んでいける気がしている。

 ありがとうLocal Sound Style。応援しています。みんな聴いてね。各種サブスクでも聞けるよ!

9/13追記

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届いたよー!!(そしてnoteがピックアップされていて腰を抜かしました。読んでくださった方、ありがとうございます)