KANGEKI-LOG

観劇とか感激とか思考の吐き出しとか

【観劇記録】寅年だらけの2人芝居60分勝負!

 作田令子さんと神戸カナさんの2人芝居「寅年だらけの2人芝居60分勝負!」を観てきました。お二方が並ぶ芝居を観るのは、昨年8月に長野市で上演された「劇団ココロワ」さんの「フラグメントファンタジー」での客演が初で、今回が2回目。

 「フラグメント-」で演じられていた悪役の、作田さんの苛烈かつ強い女に見えその実情の深さが垣間見えるところや、神戸さんの表情や声音が千変万化する道化的なつかみ所のなさと軽妙さが好きで、2人芝居を打たれると聞いてからとても楽しみにしていました。

 会場は「カニバル!!!!」さんの公演「I will always remember you」でも伺った信濃ギャラリー。

 

f:id:ao_toko:20220206111743j:plain

 

 当日見るまでの情報は「どうやら公演形式はイマーシブシアター(没入型・体験型演劇)らしいぞ」だけ。

イマーシブ・シアターとは、2000年代にロンドンから始まった“体験型演劇作品“の総称。旧来の「観客が客席に座り、舞台上の演者を鑑賞する」という構図を打破し、新たな作品と観客の関係性を作り出す公演となっています。

つまり何が ”イマーシブ(immersive)=没入型” なのかですが、固定された座席や舞台はなく、お客さんが建物内を自由に回遊しながら鑑賞する、このスタイルが一般的な演劇と大きく異なる点となります。

引用元:

note.com

 

 開演30分前に客入れ開始。その時点で、すでに入り口正面(会場奥)では手足を椅子に縛られた役者(作田さん)が寝ている(時々ぴくってしたり動いたりする)。なんか服や靴に血みたいなのついてる。役者の後ろには鏡。床には衣服や靴、衣料品店などの紙袋、紙が散らばっている。壁には教典の一節のような文章が書かれた大きな紙やA4用紙が張られ、窓や鏡にはペンで書き込みがされている。あちこちに文字、文字、文字。中央には2台のビデオカメラ(実は鏡の上にもある)。客席は両側の壁沿いに5つずつ並んでいる。

 

 この公演の特徴は

・観客も劇中で「チルドレン」という存在として扱われ、拘束された人物を監視したり、役者を手伝ったりする役目がある。

・会場が2階建ての建物。1階と2階、1階の大部屋と台所、など、2カ所で芝居が同時進行する場面が複数回ある。観客は時に指示に従い、時に自分で役者に追随し、観る場面/観ない場面を選ぶ。’(終演後には会場を自由に見て回れる)

・結末が複数パターンあることが最後に明かされる。この結末は劇中での観客の選択によって決まる。

 というもので、私は初日の昼・夜の2公演を鑑賞しました。自分が立ち会えなかった場面、立ち会えた場面、2階から響く足音やドアの向こうから聞こえる声。複数回見た方が得られる情報量や選択肢が増える感じです。個人的には2回見て良かった~(できればもう1回見たかったけれども)。

 余談も余談ですが、ここ数か月わりとずっと「私が『観て良かった』って感じる舞台ってなんだろう」っていうのを考えていたのですけれど、現時点での答えみたいなものが「自分という観客が『舞台に必要とされた』と思わせてくれる/感じさせてくれる舞台」だったんですよね。他でもない「私」がその舞台を、観たこと、立ち会ったこと、目撃者になったこと、あの場にいたこと、とかに意味を見いだせる/感じる舞台というか。イマーシブシアターはそれをすごくストレートに満たしてくれる手法だなあと感じました。楽しかった。

 

 同じ舞台(演目)を複数回観るときの目的って、不変の情報(伏線など)の確認と、その上での役者の芝居の再現不可の偶発性などを楽しむため、とかがあると思うんですど、イマーシブシアターはプラスして、観客に能動的な選択権が与えられるんだなぁ、と。「わからない」も含めて自分の選択と体験だと納得できるというか。観られなかった部分、触れられなかった情報に思いをはせるのも悪くないな、と。

 一度目で見えていなかった部分を、二度目は自分の選択で補完していくのも楽しい。それは受動的な観劇というより能動的な体験に近くて、知った情報をどうするか(他人に開示するか、ほのめかすか、黙秘するか)考えているとき、観客もまた役者になってるっている感じがしました。楽しかったです(大事なことなので2回)。

 

 後日YouTubeで公開されるそうです!やったー!

 

 

 

 以下ネタバレに配慮しない箇条書き。考察はしてない。

 

・舞台美術、鏡が特に良い役割を担ってるなーってなりました。椅子に座ってる役者と対面する役者、あと何より客席の表情がわかるのが良い。思えば私が鏡越しに見ていた相手も鏡越しに私が見えているわけで、カメラ以外でも「監視」しあってたんだなあと。あと空間に奥行きがでるのも良い。

・オペ卓が裏にあるのも驚いたし、オペ卓も「監視」という役割でがっちり舞台装置として機能してるのアツかった~。貼られたり置かれたりしたヒントをみるのも楽しい。なんかディズニーのミッキーとかミニーの家に言った時の感覚になった。

・表情やまなざしが見える距離で見る芝居良いな~ってなりました。役者さんがマスクをせざるをえない現環境だと特に。作田さんも神戸さんも目力というか目でも伝わる演技がすごい。目と言うよりも顔全体の筋肉や、前髪の掛かり方とかもなのかな。眉間のしわとかまぶたの開き具合とか、こんなに人の感情や性格って目の周りで表現できるんだな、となっていました。

・神戸さんの、厳格なカメリアと幼げなデイジーの演じ分けどきどきした~。特にデイジーの時のきょとんとした表情が好きです。2ステめ、カメリアもデイジーも靴をはき忘れそうになってたの、そういう芝居だったのか素だったのか地味に気になった。カメリアの「夜の私はだめね…」みたいな呟きが好きでした。

・作田さんのローズ、最初はそりゃ拘束されてればおびえるよね…かわいそ…と思っていたのが、それすらも実は演技だった(自ら捕まって隙を伺っていた)っていうのがびっくりで、カメリアに対してはわりと弱々しく従順だったのに、デイジーに対しては冷たく目下に見ているような対応で「こ、この女~!」ってなっていた。笑 ローレルの性格は対デイジーの方が素に近いのかな。

・教団のロゴかっこよい!「MAMA」の文字が組み合わさってて、秘密結社感すごい。手紙(カード)欲しかったので、2ステ目で渡してもらえて「わっほーい」ってなっていました。

・教団が現実世界の喧騒とも諍いとも事件とも切り離されて存在してるっていうのが、逆に本当に実在性を感じてしまうのが面白いなあと。壁に書かれていた教典的な文章の中に、認識されていないものは存在しないのと同じだという文意のものがあったような気がするんですけど、確かになあとなったりしていた。あちこちに貼られたツイートも、知っている人のはわかっても、知らない人のものはただの文章に過ぎない。認識についてもぼんやり、いろいろ考えていました。

・花の名前っていいですよね。和名も好き。花はいずれ散るもの、儚いもの、の象徴でもあり、何度でも咲き未来に続いていく(輪廻する)ものでもある。劇中夢(の中の劇中夢)のことも思い出したりしていた。あとLILIUM。

信濃ギャラリー、大きさ的にもめちゃくちゃイマーシブシアター向きだなあって思ったので1年に1回くらいのペースでやってほしい…再演でもいい…12年後まで待てません…お願いします…(あるいは次は卯年の人がやればいいのか…?)。

・くぼっちさん、セバスチャンさん、あゆみさん、ふみえさんもお疲れ様でした…!素敵な舞台をありがとうございました。

 

また随時追記します。