KANGEKI-LOG

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【観劇記録】歌舞伎NEXT 阿弖流為〈アテルイ〉

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新年一発目の劇観賞(円盤)でした。円盤、歌舞伎を愛する友人からの頂き物なのですが、鑑賞後思ったのは「あまりにも豪勢&贅沢な品すぎません…?」ということでした。良いのですか、この円盤を永遠に私のものにしてしまって…もう放さないよ…。
そして手元には自分で買った劇団新感線さんの「アテルイ」もあるんです。こっちも観るのよりより楽しみになりました…というか公演としてはこちらが先なのですね。

 

そんなこんなでご縁を頂いた「歌舞伎NEXT 阿弖流為」…最高でした

もとから阿弖流為と田村麻呂周りの、東征と平城・長岡・平安の遷都のあれこれは、児童文学「勾玉シリーズ/荻原規子」3作目「薄紅天女」で小中でどっぷりはまった題材でもあり、ハマらないはずはなかったのですが…想像以上でした…!

冒頭で無頼風の田村麻呂(演・中村勘九郎)が出てきた時点で最高が約束されてしまい、盗賊の女統領(立烏帽子/鈴鹿、演・中村七之助)の華麗な殺陣にウワーとなって、ワイルドな雰囲気の阿弖流為(演・松本幸四郎)の登場にひっくり返り、さらに鈴鹿蝦夷の血族(阿弖流為の恋人)という展開に…精神は逆立ちをしていた…。ここまででまだ序盤も序盤だった…。

阿弖流為鈴鹿を守るために蝦夷の神(アラハバキ)の眷属である白い獣を殺し、その罪で蝦夷の一族を追い出されているのですが、鈴鹿によって名を取り戻し、蝦夷の長として、朝廷に抗うことを決める。田村麻呂と阿弖流為は初見から互いの性質に共鳴/共感を覚えているのですが、同時に、武人として、大和人(蝦夷人)として、ともに肩を並べ生きることはない、ということを明確に悟っているのが潔く、切ない。ですし、後半にそんな田村麻呂に共生の道を示すのが、誰よりも阿弖流為を愛した女である鈴鹿なのが、とても胸にくる。

歌舞伎は初心者なので月並み&頓珍漢なことしか言えないのですが、歌舞伎ってこんなに動くの!?って程に動く!飛ぶ!斬る!ちゃんばら好きにはたまらない!それでいて絵画的な見やすさが考え尽くされているというか、緩急、止めの技巧が凄まじいと思いました。特に斬られる側の。ただ流動的に動いているだけではなくて、かちりかちりと画面がハマって絵になるというか…もちろん一般的な舞台の殺陣にも共通したことだと思うのですが、殊更に見せ方に魅せられたという感覚になりました。

あと鈴鹿の!海老反り(この言い方であってる?)が!美しすぎて!白い獣に襲われるシーンなのですが、あまりの美しさに脳に焼き付いて離れなくなってしまった…。円盤の特典ディスク(!)には稽古中の映像も収録されていたのですが、衣装を着けていない稽古中の中村七之助さんは、容姿は確かに男性なのに、声も、身のこなしも、全てが鈴鹿で、視覚と聴覚のズレで頭がバグったかと思いました。文字通り「神憑り」の演技だなと思う。特に鈴鹿は終盤に明かされるあることと、七之助さんの演技があまりにもマッチしすぎていて震えました…。凄まじい。

田村麻呂と阿弖流為は(先入観込みの)鏡映しのイメージが強すぎて、まだ彼ら一人一人をきちんと観られていない気がする。勘九郎さんの田村麻呂は風来坊のような自由さ、軽快さに惹かれるけれど、その実「家(血)」を断ち切れない不自由さに対する葛藤(そして諦念)を感じるところもあり、幸四郎さんの阿弖流為は厳格そうに見えて一度一族を追われた身でもう一度「選んだ」というしなやかさみたいなものを感じたり。一筋縄ではいかないものを抱えた、互いが互いを浮き彫りにする二人だったなと思います。そして勘九郎さんも幸四郎さんも実はとてもお茶目な方でしょ…伝わってきた…(好き)。

好きな題材だったのも相まって、始終目が釘付けなめちゃくちゃ濃密な舞台でした。良い観劇初めになりましたありがとうー!!(ネタバレ込み走り書きは最下部に順次追加)

 

歌舞伎NEXT『阿弖流為アテルイ)』

作・中島かずき 演・いのうえひでのり

阿弖流為市川染五郎
坂上田村麻呂利仁:中村勘九郎
立烏帽子/鈴鹿中村七之助
阿毛斗:坂東新悟
飛連通:大谷廣太郎
翔連通:中村鶴松
佐渡馬黒縄:市村橘太郎
無碍随鏡:澤村宗之助
蛮甲:片岡亀蔵
御霊御前:市村萬次郎
藤原稀継:坂東彌十郎

美術/堀尾幸男   照明/原田保   衣裳/堂本教子
音楽/岡崎司   振付/尾上菊之丞   音響/井上哲司 山本能久
アクション監督/川原正嗣   立師/中村いてう
ヘアメイク/宮内宏明   舞台監督/芳谷 研
宣伝美術/河野真一   宣伝写真/渞忠之   舞台写真/Sakiko Nomura

 

・あと蛮甲とクマコがあんなに描かれるなんて…予想してなかったよ…異種婚姻譚(?)じゃん…(???)。「生き意地の汚い男」は「髑髏城の七人」の裏切り渡京を思い出しちゃいますね。よっ、憎まれっ子世にはばかる愛され役!

 ・田村麻呂の「義に『大』が付いて『大義』になると胡散臭くなる(記憶あいまい)」といった趣旨の台詞にははっとさせられました。「正義」とかもきっとそう。

・ 阿弖流為、の名をとりもどさせたのは、鈴鹿ではなくアラハバキ…って考えると、阿弖流為は名前を失ったままなら、もしかすると田村麻呂と武人として肩を並べて生きていた未来があったのかも…知れない…みたいなことを考えてしまった。名前というのは寄る辺であるので。名前を取り戻せない 阿弖流為蝦夷の地にたどり着けない気がするのだった。

 

完全に個人的な話なのですが、アテルイと田村麻呂もとい、あの時代の東征と平城・長岡・平安の遷都のあれこれは、私が小中でどっぷりはまった児童文学「勾玉シリーズ/荻原規子」の三作目「薄紅天女」のベースになっている時代でありまして。田村麻呂はあの物語ではサブレギュラー的ポジション。彼は都の貴族で有りながら、東の蛮族と恐れられていた蝦夷アテルイに共鳴・共感する、幼心に大層印象に残っていた人物なのでした。私は何でかずっと(足を運ぶ機会に恵まれないのだけれど)東北という土地に引かれるものがあって、清水寺に立ち寄った際には、ついついアテルイとモレの碑に足を運んでしまったり、する。