【観劇記録】ステーシーズ 少女再殺歌劇
珍しく3連休だったので引きこもって観劇三昧していたわけですが、最終日の夕方に「もう一作観よう」と思い立って「ステーシーズ」を選びました。
例のごとくU-NEXTで配信中。今回は男性も出演していて、女性の役は「モーニング娘。」メンバーが熱演(なお「演劇女子部」の名前を冠する前の作品)。怒涛の勢いで観た4作の中で一番古い作品(2012年)です。
結論から言うと休日の終わりに観るものではないです(褒め言葉です)。
あらすじ
突然命を落とした少女たちがゾンビ化する"ステーシー化現象"が蔓延する近未来が舞台。ゾンビ化した少女たちに2度目の死を与える"再殺"を行うべく、せん滅部隊が結成されるが、拡大するゾンビ化を収束させることが出来ない。愛するものを"再殺"しなければならない人々の苦悩の行き先は…
今回の感想というかメモ書きは非・ネタバレ、ネタバレを分けられない気がします。視聴済みでの閲覧推奨。なお原作である大槻ケンヂさんのホラー小説は未読です。
14歳から16歳の少女が、急死・変死をしてゾンビになる。ゾンビ(ステーシー)と化した彼女たちは正気を失い人間を襲うため、チェーンソーなどの武器で活動不能になる165分割以上の細切れにしなければならない。…っていう設定を「そういう世界だから」と割り切って、あくまでの舞台上のものとして観られればよかったんですけど…私は無理でした。
作中の挿入歌で、そういう世界の構図は「神様の気まぐれ」なのだとゾンビになった少女たちが歌う。じゃあその「神様」って何者なの、って考えると、それは少女たちに「少女のままでいてほしい」「美しいままでいてほしい」「笑っていてほしい(一度死ぬ前、少女たちはよく笑うようになる)」と願う存在ーーつまるところ私(観客)なんじゃないか、と考えてしまって。
最初は単純に、「少女と男性」としての構図を脳裏に描いていたんですけど、そうじゃない、私も彼女たちを鋳型にあてはめて無理やり止めようとして、消費してるんだ(私は正直、若い女性たちが演じる彼女たちの舞台のきらめきに胸をときめかせながらも、彼女たちと舞台をコンテンツとして楽しんでいることに、どこか罪悪感があった)、って思ったらなんかもうずっと胃が重かったです。で、一度「少女」として死んだ(殺されたとも言えると思う)彼女たちは、ゾンビとなることで「少女を辞める」。加えて、一度死んでもゾンビとして「再生」するのは「愛する人と再び会いたかったから」とも歌う。「傷つけたかった(覚えていて欲しかった)」とも。渋さんと一緒にごめんなって謝って地に伏したいのは私だよ。
乱発してる「彼女たち」って表現も、ステーシーになってしまった少女(役)とキャストさん(役者)をうまく頭で分けられてない証左なのだと思います。LILIUMの時も「この舞台・演目をアイドルであり若い女性であり、作中の繭期(思春期)のただなかにある少女たちに演じさせるのか…」と閉口するとともに、舞台上の彼女たち(ああまたこの呼び方してしまった…)にひたすら息を飲み感服していたのですが、ステーシーズはLILIUMと似た構造をさらに生々しく突きつけられたというか、を「額縁に収められた地獄の絵画」とするなら、ステーシーズは「客席に容赦なく降ってくるハーブティーの香りをした生肉ミンチ」って感じでした。地獄。
一方。そんな「彼女たち」を演じきるキャストさんが本当に、すごいし、気高いと思う。演技はLILIUMを観た後だとかなり荒いというか拙くも感じるのですが、LILIUMより前にステーシーズという舞台を完成させているというのが、凄まじい。そして「舞台上の彼女たち」のかけらを抱きながら、今も舞台の上で輝き、現実世界で生きてゆく、生き続けていく「彼女たち」に、とてつもなく(勝手に)赦されて、救われてしまう。
舞台の好きなところって、キャストさんが生きている人間で、舞台が終わった後もその方の人生が続いていくところだなと思います。キャストさんのなかには一度幕引きされてしまった物語や、あるいは舞台の上で死んでしまった役たちがある/いる、そして全てが次の舞台に、続いていく人生の1ピースになっている。観客の身勝手な願望でしかないし、その願望すらキャストさんにとって重荷でしかないのかもしれないけれど、存在が希望というか。ありがとう、とひたすらに思う。
ということをめちゃくちゃ考えてしまう舞台でした。私にとっての舞台の展開/感想を指す「地獄」は、舞台上での悲劇の度合いに関係するものではなく、己自身の醜悪な姿が舞台によって暴かれることであるような気がします。なので観劇するのがリリウムの10倍くらい辛かったです。私は。
男性キャストさんの力強い歌声と女性キャストさんたちの高らかな歌声がぶつかり合うような挿入曲、良かったです。あとステーシーたちの衣装もそれぞれ個性がでていた。まだ自分の中で整理が付いていないですが、観られて良かったと思います。また最下部でつらつら語ります。
*memo*
田中れいな - 詠子 譜久村聖 - 利江香/静美
生田衣梨奈 - 玉代 鞘師里保 - モモ
鈴木香音 - 砂置子/領子 飯窪春菜 - ミキヨ/美伊
石田亜佑美 - 砂也子 佐藤優樹 -七緒
工藤遥 - ドリュー 河相我聞 - 渋川
山本匠馬 - 有田 白又敦 - 祐助
山浦徹 -
卒川隊長 赤星マサノリ - 小此木先生
真心 - 柳沢/詩人 菊池祐太 - 松井
郷志郎 - 雪住 キムユス - 小杉/倉庫番
椎名茸ノ介 - 録山
スタッフ
原作 - 大槻ケンヂ『ステーシーズ 少女再殺全談』(角川文庫)
脚本・演出 - 末満健一(ピースピット)
音楽 - 和田俊輔
プロデューサー - 丹羽多聞アンドリウ(BS-TBS)/佐々木淳子
つらつら語る初見ネタバレメモ
・田中れいなさん「赤毛のアン」で主演予定だった方ですよね…気になってた舞台だったので中止になったことが本当に改めて悲しかった。ステーシーズで演じる詠子は、ギャルっぽい服装と言動のなかに鋭さや諦観も感じさせる部分があって、好きでした。目を細めた笑顔と、すっと表情が失せた時のお顔が印象的。あとお声が良い意味で少し癖があってよく通るなと。最後の渋さんとの殺し合い、息を飲みました。
・鞘師さん演じる「モモ」。リリウムでは洗練された美少女感がありましたが、モモは「生身の天使」って感じだったな…。生肉を砂糖でコーティングしてるというか(いやちょっとこれはあんまりピタッとくる例えではないな…)。彼女が「ステーシーにも意思がある」と示し、自分を殺すものたちに「苦しまないで」と語ることは、「赦し」などではなく、むしろさらなる糾弾に近いものを感じた。モモであり、モモではない。彼女はあの場にいた誰もが本当の名前すら知らない少女でもあったわけで。考えさせられる。
・工藤さん演じるドリュー、フリフリ衣装がお可愛い。工藤さんの演技/声は良い意味で「浮く」というのは前にも書きましたが、今回は「死にたくない」と逃げ出した「ステーシーらしくない」少女の役割としても、ぴったりはまっていたと思います。手足細くておれそうと勝手にハラハラしてしまった…。
・工藤さんの声で思い出したのですが、作中の少女たちの笑い声、めっちゃ頭に残りますね。箸が転げても笑う、鈴のような、でもキンと頭に刺さるような笑い声。彼女たちはニアデスハピネスゆえの多幸感から笑っているのか、それとも外を嘲笑っているのか。
・石田さんの砂也子も印象的だったな。ストレートヘアに肩出しのワンピースがなんとなくもっとも「アイドル」っぽくて目を引いた。少年とステーシーが「アダムとイヴ」になる。聖書どおり捉えるなら祐助と砂也子の逃避行は、楽園を出る行為とも言える。そして砂也子はもう「少
女」ではない…ということをぐるぐる考えていました。
(女性陣のことばっかりで男性陣のことを考えている余裕がない!!)